フォース鉄道橋
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所在地 | イギリス | |||
エディンバラ | ||||
フォース湾 | ||||
北緯56度0分0秒西経3度23分20.04秒 | ||||
長さ | 2528.7m | |||
最大支間長 | 521.3m | |||
幅 | ||||
高さ | 104m | |||
建築家 技術者 |
ジョン・ファウラー・ベンジャミン・ベイカー | |||
形式 | カンチレバートラス橋 | |||
素材 | 鋼鉄 | |||
建設 | 1882-1890年 | |||
橋の分類 | ||||
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一覧 | ||||
フォース鉄道橋(フォースてつどうきょうForth Bridge)はイギリス・スコットランドのエディンバラ近郊のフォース湾に架かる鉄道橋である。全長2530mのカンチレバートラス橋で1890年に完成した。19世紀、「テイ橋の悲劇」をはじめとして強風による落橋事故が相次いだため非常に強固な橋として設計された。
目次 |
[編集] テイ橋の悲劇
19世紀末イギリスの産業は飛躍的に発展し鉄道網が全国に張り巡らされていった。
トーマス・バウチはスコットランドのテイ湾に架かるテイ橋を設計した人物である。テイ橋は1878年に開通した長さ約3kmのトラス橋で、バウチはこの功績でナイトの称号を与えられ、当代随一の設計者として知られていた。
ところがスコットランドは風が強く、テイ橋は完成した翌年の1879年に強風で崩壊、運悪く通過中の列車がテイ湾に落ち、75名の死亡者を出してしまった。設計段階で風の影響を軽視していたのと、材料が粘りに欠ける鋳鉄だったこと、工事や管理がずさんだったことが指摘された。
バウチ卿はフォース橋の設計も担当していたが責任を問われ、フォース橋の建設は基礎工事に取りかかったところで中止。失意のうちに死去している。
[編集] フォース橋
設計を引き継いだのはジョン・ファウラーとベンジャミン・ベイカーだった。
テイ橋の教訓からフォース橋は強風の影響を考慮して設計されている。橋は3つの菱形をしたカンチレバー(片持ち梁)と、それに挟まれ支えられるガーダー橋、さらに岸から橋本体への取り付け部からなっている。支間(フォース橋の場合は2つのカンチレバーの中心間)の距離は521mで、カナダに同じくカンチレバー橋であるケベック橋が完成するまで世界一の長さであった。3つあるカンチレバーの高さは104m。長さは415m。ガーダー橋の長さは106mで、満潮時の海面からの高さは46mである。
また、材料として鋼鉄を用いている。使用された鋼鉄は51000t以上。また鋼鉄を繋ぎ止めるために800万個のリベットが使用された。
その巨大な姿は「鋼鉄の怪物」と呼ばれ、いつまでたっても終わらないことを例えて「フォース橋にペンキを塗る」 "Painting the Forth bridge" という言い回しがある。
フォース橋はその頑健な構造とメンテナンスのおかげで完成後100年以上たった現在でも現役で使用されている。
[編集] カンチレバートラス橋
カンチレバートラス橋とはトラス橋の一形式で発明者の名前をとってゲルバートラス橋とも呼ばれる。支間距離が比較的長い橋に用いられる方式である。 カンチレバーとは片持ち梁のことである。上述のフォース橋、ケベック橋以外に日本では大阪港の港大橋がカンチレバー橋である。
フォース橋建設の際にカンチレバー橋の原理を説明するために人間がカンチレバーの役割を演じてみせた写真が残っている。この写真の真ん中で持ち上げられている人物は日本人の渡辺嘉一で、イギリス留学中に研修としてフォース橋の工事を見学していた。日本に帰国後は東京石川島造船所などの経営に参加している。
これ以上大きな橋を架けるためには通常吊り橋が利用される。1964年にフォース鉄道橋の隣にフォース道路橋が架けられたがこちらは支間距離1006mの吊り橋となっている。
[編集] 逸話
- アルフレッド・ヒッチコック監督の『三十九夜』(1935年)に登場する。
- ゲームGrand Theft Auto: San Andreasに登場するKincaid橋はこの橋を元にデザインされた。
カテゴリ: イギリスの橋 | スコットランドの地理