ブリタニック号
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ブリタニック号(HMHS Britannic)とは、オリンピック号とタイタニック号の姉妹船で、一番後に竣工された船。
20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフ社の会長が、ホワイトスターライン社のイズメイ社長に3隻の大型客船の造船計画を発案したのが発端である。
[編集] 竣工
予算上、ドックの関係で2隻のみが先立って造船され、1908年に一番船オリンピック号が、その一年後の1909年に二番船タイタニック号の造船が開始された。そしてオリンピック号進水式の年の1911年に三番船の造船が発表された。本来この三姉妹達は基本的な図面は全く同じであるが、実際先立って乗客を乗せて航海を始めた一番船オリンピック号の問題面や改善点を受けて、二番船であるタイタニック号は極若干の仕様が変更された。ブリタニック号もタイタニック号の仕様を受けて造船される予定であったが、1912年4月15日に起こったタイタニック号の沈没を受けて設計が大幅に変更。甲板にはクレーン式の最新式二段救命ボートの取り付けが決定した。またタイタニック号沈没以前に内定していた船名ギガンティック号(Gigantic)をブリタニック号と改名し、1914年にようやく進水式を迎える。
[編集] 第一次世界大戦勃発、病院船として徴用
1914年に進水式を迎えたブリタニック号は第一次世界大戦勃発により竣工が翌年に延ばされた。竣工直後の1915年12月12日、イギリス海軍省の命により病院船として徴用された(この時、オリンピック号も軍事物質輸送船として徴用される)。
船体は純白に塗られ、船体には緑のラインと赤十字が描かれた。そして1916年11月21日、病院船としての5回目の航海中にエーゲ海沖でドイツ軍の機雷に触れ沈没。結局一回も商用として使われないまま短い生涯を終えた。死者30名。不幸中の幸いで沈没した際に患者は誰一人乗っておらず、もし乗せていたとしたらタイタニック号の被害を上回る死者を出していたかもしれない。
[編集] 関連映画
- 『Britannic』(ブライアン・トレンチャード=スミス監督 2000年 イギリス)