オリンピック号
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オリンピック号(RMS Olympic)とは、1900年代、イギリスのホワイトスターライン社がイギリスやアイルランドなどヨーロッパ各地とアメリカ東海岸のニューヨークなどを航路した船のひとつである。
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[編集] 概要
1912年4月14日に沈没したタイタニック号の姉妹船で、造船業のハーランド・アンド・ウルフ社の会長が、ホワイトスターライン社のイズメイ社長に、三隻の大型客船の造船を発案したのが発端である。その三隻の船の先駆けとして竣工され、ほぼ同時期に二番船タイタニック号が造船され、少し遅れて三番船のブリタニック号造船が開始された。
当時は世界で最も巨大な船だといわれており、今でいう巨大クルーズ船と並ぶほどの巨大な船だった。それに加え“絶対に沈没しない”と言う不沈伝説まで生まれたが、処女航海でタグボートを巻き込みそうになったり、1911年9月20日にはイギリス海軍の巡洋艦ホークと衝突事故を起したりと、その先行きはタイタニック号の悲劇を暗示しているようにも感じられる。そして極めつけは妹船のタイタニック号の沈没でその神話がもろくも崩れた。タイタニック号からSOSを受信し救難に向かった船の1隻であるが、両船は800kmも離れており、沈没現場に到着したのは先に到着したカルパティア号が遭難者を救助した後であった。
[編集] 姉妹船タイタニック号
オリンピック号は三姉妹船で、タイタニック号とブリタニック号の二隻の妹船が存在し、それら姉妹船をまとめてオリンピッククラスと呼んでいた。沈没事故、その後の映画などでタイタニック号が有名になるが、寧ろ当時はオリンピック号がその代表船であった。
タイタニック号とは同時期に造船が開始された事もあって瓜二つであり、タイタニック号の写真としてオリンピック号の写真を使われる例がよくあった。しかし一番船として先に竣工したオリンピック号の改善点を受けて、タイタニック号の設計は多少変更され、外観も二つの姉妹船は多少異なっていた。その代表としてAデッキの一等専用プロムナード(遊歩道)の窓が、オリンピック号は全体が海に対しベランダ状になっていたのに対し、タイタニック号は前半部がガラスが取り付けられた窓に変更された。これは北太平洋の寒い強風から乗客を守るために変更された為である(後に竣工したブリタニック号のプロムナードの窓もタイタニック号と同じ作りである)。またタイタニック号はBデッキの窓際全体が1等客室だったのに対し、オリンピック号はBデッキ全体にもプロムナードデッキが設けられており、その為1等客室の数がタイタニック号に比べ少なかった。
[編集] 第一次世界大戦勃発、軍用輸送船として徴用
タイタニック号の沈没を受けて未だブリタニック号の造船も進んでいない中、オリンピック号は1船体制で大西洋を駆け巡っていた。タイタニック号の沈没により、ホワイトスターライン社はオリンピック号の船体側面の2重構造化、救命ボートの数を倍以上に増やし乗客の信頼を取り戻すのに必死であった。しかし1915年第一次世界大戦の勃発によりオリンピック号はイギリス海軍省の命を受けて軍用輸送船として徴用された。
この時、竣工直後の妹船であるブリタニック号も病院船としての徴用を拝命されていたが、翌年の1916年にブリタニック号はドイツ軍の機雷に触れて沈没してしまった。
妹船達に先立たれたもののオリンピック号は輸送任務に従事し、1918年5月12日にはドイツ潜水艦U-103の雷撃をかわして逆襲し、巨大な船体を体当たりさせて沈めるなどの武勇伝を残した。
[編集] 客船として再び竣工
オリンピック号は第一次世界大戦終結後に再び客船として就役した。再就役したオリンピック号は船員からは「Reliable grandma(頼もしいおばあちゃん)」という愛称で親しまれた。その後オリンピック号は20年近く現役の客船として栄光を保ち続けた。
引退後のオリンピック号は解体される予定であったが、その豪華な内装を持つ船を廃棄するのは惜しいという声があがり、内装の一部がオークションにかけられた。そしてダイニングの内装をイギリスの夫人が買い取り屋敷に使った。
夫人の死後、その屋敷もまたオークションに出されていたが、世界有数の船会社であるロイヤル・カリビアン社が落札。自社の船である2000年竣工のミレニアム号のレストランに使用する事に決定したのである。そのレストランは「オリンピック・レストラン」という名で呼ばれており、室内はオリンピック号のダイニングがそのまま利用されている。他にもオリンピック号で使われていた食器類も飾られており、タイタニック号とほとんど同じ事から映画タイタニックの人気を受け、そのレストランは連日の人気である。
[編集] 船データ
- 建築業者:ベルファスト(アイルランド)のハーランドとヴォルフヤード
- 船の長さ:882フィート
- 船腹:45,324
- 速度:21ノット
- 航海開始:1910年10月20日
- 廃棄:1935年引退
[編集] すりかえ説
沈没した姉妹船のタイタニック号とオリンピック号は、すりかえられていたという説がある。
これはまったく根拠がゼロの物ではない。完成時のスクリュープロペラが写されている写真には、スクリューにかかれている番号がタイタニック号の番号だったり(これはタイタニック号が建造中に起こった巡洋艦ホークとの衝突事故でスクリューが破損し、建造中であったタイタニックのものを使用したという説が有力)、客船の窓数も“沈没した”タイタニック号と同じ数(オリンピック号とタイタニック号ではわずかだが異なる)だったりなどというものだ。いずれも写真によるものである。
だが、たとえ同型船とはいえ、使用しはじめてからしばらくたっている船と新造船ではまったく船の感じが異なるため、恐らく都市伝説の一種だろうと推測されている。