プレドラグ・ミヤトヴィッチ
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プレドラグ・ミヤトヴィッチ(Predrag Mijatović、1969年1月19日 - )は、モンテネグロ・ポドゴリツァ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元ユーゴスラビア代表。
ユーゴスラビアを代表するストライカーのひとり。巧みな足技と力強いドリブルが持ち味で、速い足の振りから繰り出す強力なシュートから「バルカンの速射砲」の異名をとった。元々は攻撃的なMFとしてキャリアをスタートしたが、のちに前線FWへとポジションを上げ活躍した。
1987年、地元のクラブチーム・プドゥチノストでキャリアをスタート。同年のワールドユースに出場し、ユーゴスラビアチームの優勝に貢献する。1989年にはパルチザン・ベオグラードへ移籍して才能を開花させ、同年8月23日のフィンランド戦で代表デビューを果たすと、1992-1993シーズンにはチームのリーグ優勝に貢献した。翌シーズンにはリーガ・エスパニョーラ・バレンシアへ移籍。1995-1996シーズンにはリーグ2位となる28得点を挙げた。
活躍が認められ、1996-1997シーズンからはレアル・マドリードでプレー。移籍1年目からダヴォール・シューケルとの2トップでゴールを量産し、リーガ優勝の原動力となる。翌シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ制覇も成し遂げた。
1998年のフランスW杯プレーオフでは2試合7得点と大爆発しヒーローとなったが、本大会では4試合1得点に留まった。代表通算73試合出場、28得点。
1999-2000シーズンにセリエA・フィオレンティーナへ移籍。しかし怪我の影響もあって目立った活躍は出来ず、2001-2002シーズン後のクラブ消滅を期にイタリアを離れた。他クラブからいくつかのオファーがあったものの、家庭の事情からスペインに戻り、当時セグンダ・ディビシオン(2部)のレバンテへ加入。1シーズンプレーした後、2003年に現役を引退した。
2006年現在はレアル・マドリードのスポーツディレクターを務めている。
[編集] 選手経歴
- FKブドゥチノスト・ポドゴリツァ (モンテネグロ) 1987-1989
- パルチザン・ベオグラード (セルビア) 1989-1993
- バレンシアCF (スペイン) 1993-1996
- レアル・マドリード (スペイン) 1996-1999
- フィオレンティーナ (イタリア) 1999-2002
- レバンテ (スペイン) 2002-2003