ペター・ソルベルグ
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ぺター・ソルベルグ(Petter Solberg 1974年11月18日~)はノルウェー・アスキム出身のWRCのラリー・ドライバー。2003年のWRCの世界チャンピオンである。現在スバル・ラリーチームのエースである。コ・ドライバーはフィル・ミルズ。ラリードライバーのへニング・ソルベルグは彼の兄である。優勝する際、ラリーカーの中で雄叫びのような大きな声をあげてはしゃぐ姿は有名である。この面がライバルのセバスチャン・ローブの冷静沈着ぶりとは対照的である。
パフォーマンスとして、ドアやドアを開けた状態でロールゲージに乗りながら運転する「ハコ乗り」やその状態でドーナツターンを行う「ハコ乗りドーナツ」のほか、2004年のGBラリーではロールケージとドアの上に立つ「立ち乗り」を披露した。なお、その際には助手席のフィルがステアリングを握っている。 ニックネームはそのパフォーマンスからハリウッド、また日本では飛ばす様から全開とも呼ばれる。ソルベルグが最初に覚えた日本語も「ZENKAI」であると言われている。
既婚。夫人のパニエラはラリー・ドライバーを多数輩出したワルフリッドソン家の一員で、自身もグループN車両でのラリー参戦経験がある。二人のなれそめも、ラリー会場で知り合ったことがきっかけである。さらにソルベルグの両親もラリークロスの経験者、上記の通り兄も現役ドライバーなので、ソルベルグ一族はラリーと非常にゆかりの深い一族である。
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[編集] 経歴
[編集] 生い立ちからラリーデビューまで
ソルベルグは1974年11月18日にノルウェーのアスキムの地で生まれた。両親は共にラリークロスのドライバーで、兄のへニングもラリーを始めるようになると、弟ぺターもその影響を受けてラリーにのめり込んでいく様になる。ただ始めのうちは幼かったこともありラジコンカーレースに参戦し、国内チャンピオンになる。因みにラジコンカーを溺愛するあまり、一緒に入浴したりベットで寝たりもしたらしい。
実車で競技デビューは1992年で、ノルウェー・オートクロスラリーでわずか2戦で優勝、その後ラリーデビューしていた兄のへニングのお下がりのクルマでめきめきと頭角を現し、1996年にラリーデビューを果たす。
[編集] WRCデビュー
ラリーデビューしてからのソルベルグの快進撃はその後も続き、1998年にノルウェー・ラリー選手権で総合優勝を果たし、この年ついにWRCデビューを果たす。1999年からフォード・ラリーチームで参戦、コ・ドライバーもこの年から現在もソルベルグのコ・ドライバーを務めるフィル・ミルズになった。(それまでぺターのコ・ドライバーを務めていた人は、その年から兄へニングのコ・ドライバーになった。)スウェーデンでフォード・エスコートWRCでワークス・デビューを飾ったソルベルグは、トーマス・ラドストロームの負傷欠場のためにサファリ・ラリーでフォード・フォーカスWRCのWRカーに乗ることになる。サファリ・ラリーはもちろんのことフォーカスそしてWRカー初体験にもかかわらず、5位でフィニッシュを果たす。2000年も中盤戦までフォードでドライブ、ケニアで5位、アルゼンチンで6位と確実に成長を見せるようになる。着々と実績を重ねていく中、フル参戦の機会をなかなか与えられないことに不満を抱いたソルベルグは、フォードから飛び出す形で2000年8月にスバル・ラリーチームに移籍する。
[編集] ワールドチャンピオンへ
ソルベルグのドライビングは荒々しく、そのドライビングゆえ車を壊すことも多かった。その面はスバルに(そして自身に)初のWRCチャンピオンをもたらしたコリン・マクレーと似ている。しかしスバルに加入して経験をつむうちに徐々に克服していく。2001年のアクロポリス・ラリーで初の2位表彰台、2002年の最終戦グレート・ブリテン・ラリー(GB・ラリー)で自身初優勝をあげ、シリーズランキングも2位になる。2002年からの2年間は、4度のWRCドライバーズチャンピオンに輝いたトミ・マキネンとチームを共にする。4度のチャンピオンドライバーにソルベルグは様々なことを教わることになる。一方でその2年のうちに、特に2年目の2003年シーズンはそのマキネンを圧倒するようになり、マキネンはこのシーズンをもって引退を表明する。ソルベルグの2003年は、シーズン序盤は不振だったものの、中盤戦から勝利を重ねるようになり、ついに最終戦GBラリー前にライバルのシトロエンのセバスチャン・ローブとの直接対決となった。GBラリーはローブの方はシトロエンのマニファクチャラーズタイトルがかかっていたこともあったため、途中から堅実な走りに徹するようになった。一方ソルベルグはスバルチームの方はマニファクチャラーズタイトルの可能性がなく、ソルベルグのドライバーズタイトルにすべてを注ぎ込むことができたため、ソルベルグは豪快な攻めのドライビングを披露することができ、結果はソルベルグが優勝を果たし、ローブは2位、シリーズランキングもソルベルグ72点、ローブ71点。わずか1点差でつかんだ初タイトルだった。
[編集] 2004年以降
そして2004年、ソルベルグは序盤堅実な走りを見せるが、アルゼンチン、フィンランド、ドイツと中盤3戦で連続リタイアを喫してしまう。一方で中盤の3戦連続リタイアの後、初の日本開催になったラリー・ジャパン、GBラリー、サルデニィア・ラリー(イタリア)と今度は逆に3連勝をあげる。またステージベスト95回と堂々の1位となる。しかしリタイア1回に加えて、優勝できなくても確実に表彰台圏内にもってくるローブと比べて、ソルベルグの方は好不調の波が激しかったことがからみ、この年はタイトル防衛はならなかった。
2年ぶりのタイトル獲得を目指す2005年は、スウェーデン・ラリー、メキシコ・ラリーで2勝をあげていたが、その後はローブの快進撃が続き、日本で開催されたラリー・ジャパンで勝利を目前にしながらの不運なリタイアを喫し、ローブがタイトル防衛を果たす結果となった。
2006年シーズンもインプレッサの戦闘力向上が進まず、未勝利で終わった。
[編集] 戦歴
(2006年アクロポリス・ラリー終了現在)
- WRCデビュー:1998年スウェーデン・ラリー(最終順位:16位)
- WRC参戦回数:100戦
- WRC優勝回数:13回(初優勝:2002年GB・ラリー)