ホラチウ・ラドゥレスク
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ホラチウ・ラドゥレスク (Horatiu Radulescu) はルーマニア生まれでスイス在住の現代音楽の作曲家。1942年生まれ。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 第一節
母国ルーマニアでステファン・ニクレスクに師事した。作品リスト開始直後の「奈落へのゆりかご(ピアノソナタ第一番,op-6)」ですでに等拍リズムを採用し、聞きにくい共鳴の和音を直截に使うなどの個性は現在にも共通するものの、本格的な作風の開花はダルムシュタット夏期講習会へ参加の後、その地でカールハインツ・シュトックハウゼンの「シュティムンク」を聞き衝撃を受けてからになる。高次倍音の揺らめきに興味を覚えた彼は「チェロアンサンブルのためのクレド op-9」で現実にはない「擬似基音」から第四十倍音までを算出してチェロの高音域に漂わせて、最初期の個性を確立した。
その後もピアノの変則調弦や極端な特殊奏法の連続で微視的な音響を追求するあまり、ヨーロッパの楽壇は賛否両論に割れ「作曲者の単なる我侭」という暴論がドナウエッシンゲン音楽祭で飛び交うほどの問題作を次々と発表した。「弦楽四重奏曲第四番」は九つの弦楽四重奏のために書かれた(九つの弦楽四重奏団がそろうことは経済上不可能なので、八つを録音して一つはライブで臨む)。この作品ではフィボナッチ数列比をオクターブに厳格に適用して単純な四分音とは全く異なった微分音を探ってゆく世界初の作品であり、傑作の誉れが高い。なにもフィボナッチ比を音程にのみ適用しているだけではなく、リズム、楽器法や全体構成にまでフィボナッチ比が完璧に及んでいるために、素材全体が比率で締め付けられている印象も高い。かとおもうと、チェロ独奏のための「ほかの op-49」では、一切の難解な操作を配して高次倍音を生のままで聞かせる。倍音のみでアラビア語圏かインドのような歌謡性を提示する辺りに、非西洋文化への偏愛が読み取れる。
クラリネット重奏のための「主観的時間 op-42」ではクラリネットのパートはほぼ単一の音名にセント単位の微分音が細かくまとわりつくさまを正確に確定記譜させるために、スペクトル楽派のリズムの曖昧なリサーチとは一線を画している。聞き込むうちにクラリネット特有の倍音構成から耳障りな差音が聞こえてくる。この耳障りなノイズも前衛の世代のようにストレートに輩出するのではなく、理論的算出から自然と聞こえてくるのを好んでいる。フルート・オーケストラやサックス・オーケストラのための作品でも通常とは違う微分音の追及は変わらなかった。この点ニクレスクのように四分音にこだわり続ける師の態度とは差異が見られる。オーボエ・ダモーレとピアノのための「アニマエ・モルテ・カレント op-85」では「運指で八分音、アンブシュアが八段階なのだから、理論的には64分の1音が可能だろう」という極論に至っており、ほとんど知覚できないくらいのセント比をうろつくオーボエに変則調弦のピアノが絡む、最も演奏の難しいオーボエ曲を生み出している。
この探求をオリヴィエ・メシアンは絶賛し、それがきっかけで長らくフランスに留まって仕事をしていた。1980年代にはグランドピアノを横に倒して「サウンド・イコン」と名づけ、様々な角度から引っかいたピアノの弦の音色をマイクでピックアップして生楽器に混ぜるなど、その創作の頂点を極めていた。「アンゴロ・ディヴィノ op-87」はおそらく彼の理論的追求の最も深い部分を味わうことができる秀作である。電子メディアを用いる際にも、必ず生楽器をなんらかの形で増幅するなど、晩年のルイージ・ノーノのようにピュアな電子音は一切使われることはない。現代音楽の流行を追うのではなく、古代音楽の理論を探っていくかのような探求が新しい音響につながる音楽は世界でもほとんど例を見ない。
[編集] 第二節
このような実験は管楽器や弦楽器にはやりやすくても、鍵盤楽器には適用が難しくピアノソロ曲がほとんど書けないという落ち度も生み出していた。「クリステ・エレイゾン op-69」などのオルガン曲での試行を経ている最中に、生涯の片腕となるオルトウィン・シュトゥーマーと出会った。彼の音色を最深まで聞き届ける演奏マナーに感激した彼は1990年代に微視的一辺倒であった創作マナーを転向して、はるかに平易なイディオムの積み重ねによるピアノソナタを彼のために四曲書いた。これはピアノソナタの録音をロジャー・ウッドワードで予定していた当初の計画を、通達抜きで急遽変更したことに現れている。
ここでのラドゥレスクは「ついに彼も調性の軍門に下った」という厳しい評価もなされているが、美学上は以前の作品となんら変わりはなく5拍子の連続、延々と連打される低音、複雑な共鳴構成などは依然健在である。ラドゥレスクもラ・モンテ・ヤングと同じくスタインウェイを嫌い、可能な限りベーゼンドルファーを使用するように通達を出している。執拗な連打音はなにもラドゥレスクだけではなく、フランギス・ミロリオやコスチン・ミレアヌなどの東欧の作曲家と変わらないが、フィボナッチ比で連打音を数え続ける点が異なる。ルーマニアの民謡が採譜された旋律を生のままで使うという態度も初めて聞かれるようになったが、最初に提示した10-20くらいの民謡を細かくグループ化してクライマックスで同時に重ねるなどの緻密な操作からは、叙情や耽美はそれほど感じられず、新しい調性主義者の怠慢とは明らかに異なる。この時期から題名に直に引用するほど東洋思想への傾倒が顕著となり、ビザンツからインド、そして中国へ興味の対象が移り変わるのを正しい歩みと信じて疑っていない。
「ピアノ協奏曲 op-92」はラドゥレスクが最も影響を受けた作品と併演する形で、ドイツで初演された。アーノルト・シェーンベルクの「五つの管弦楽作品」、敬愛したオリヴィエ・メシアンの「クロノクロミー」で前半をしめ、後半に自作のピアノ協奏曲をソリストにシュトゥーマーを配して聞かせた。これは音色とリズムを追求した彼の自叙伝のようなコンサート構成となった。ここでも彼の反骨精神は健在で、ピアノには一切の名人芸が与えられない。テクニック的にはショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第二番よりもやさしいと思われるピアノパートは、もっぱら音色と和音を聞かせることしかしていない。この作品もルーマニアの民謡をそのまま随所で用いているために聴覚的な印象は解りやすい。しかし、第三楽章でPPPでサックスがポリテンポを聞かせたり、ピアノソロの単音の上に聞きなれない弦楽器の倍音が霧のように浮かび上がる様は、ラドゥレスクの探求そのものである。楽器法は常にフィボナッチ比で統括されるためにTUTTIは第四楽章の一回しかない。L.V.(音を響かせたまま)という指示が次のセクションの音響と絶妙に交じり合うのも確実に擬似基音上の部分音が計算された上で用いており、一切の理論的破綻を感じさせない。
ラドゥレスクはダルムシュタット夏期現代音楽講習会の講師の常連となった1980年代からシュトックハウゼンと同じく自分の音楽のための楽団「ルチェロ・アンサンブル」と出版社「ルチェロ・インターナショナル」を設立して、自作の正当な解釈がきわめて少数の演奏家に正確に届けられることを義務づけている。このため彼の楽譜代は10分程度の作品でも10000円を超えるなど破格の価格設定のために、挑戦する演奏家の偏りを招いている。常に自作の演奏に厳しく目を光らせているのは事実であり、「ルチェロ・インターナショナル・マスタークラス」では世界中から招待されたソリストが受講生へ正しい演奏法を伝授している。現在はアレクサンダー大王の生涯を語るオペラの作曲が中心であるが、本人があまり公の場に出るのを嫌っているために、近況の詳細はよくわかっていない。ディレクター変更と彼の性癖の悪さのためにダルムシュタットから解雇された事が、尾を引いているものと思われている。
[編集] 2003年以降の作品リスト
作品104 ピアノソナタ第五番 "settle your dust, this is the primal identity" (2003)