ポスティング制度
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ポスティング制度(ポスティングシステム)は、日本のプロ野球において認められている移籍システムの一つである。1998年に調印された「日米間選手契約に関する協定」により創設された。フリーエージェント(FA)でない日本のプロ野球選手が、アメリカ・メジャーリーグに移籍を希望し、それを所属球団が認めた場合に行われる。移籍可能なチームは、後述の入札制度において最高金額の入札を行ったチームに限られ、選手自身は移籍先のチームを選ぶ権利が与えられない。
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[編集] 移籍への手続
移籍を希望する選手の所属球団は、日本プロ野球のコミッショナーを通して、メジャーリーグのコミッショナーにその選手が契約可能であることを告知(ポスティング)する。その後、メジャーリーグのコミッショナーはメジャーリーグの参加全チームにポスティング選手の連絡を行う。そして、この連絡から4業務日以内に、対象者の受け入れに興味を持つチームはメジャーリーグのコミッショナーに交渉権の対価となる金額を入札する。最高入札額は日本の所属球団に通知され、日本の所属球団がその金額を了承した場合には、当該メジャーリーグ球団は当該移籍希望選手との30日間の独占交渉権を獲得できる。落札金額は、当該希望選手との選手契約が成立した場合に、日本での所属チームに全額支払われる。
日本での所属チームは、最高入札額を確認した上で、移籍を認めない決定をすることができる。このため、ポスティングそのものを認めるかどうかに加え、ポスティングの結果、入札金額に応じて移籍交渉を認めるかどうかの二段階において日本の所属球団に決定権がある。また、当然ながら必ず入札があるとは限らない。30日間の独占交渉期間において落札球団との契約が成立しなかった場合には、翌年11月1日まで当該選手のポスティングによる移籍はできないこととなる。
[編集] 導入の経緯
ポスティング制度は、球団が見返りを得られずに選手を失うことを防ぐために、日米の球団間における協定に基づいて導入された。導入のきっかけは、野茂英雄が近鉄バファローズを退団したときの一連の出来事だった。1995年に、FAではなかった野茂は、形式上日本のプロ野球から引退して、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。任意引退を行った選手が他の日本球団と選手契約について交渉する際には、引退時に所属した球団の承諾を得なければならなかったものの、上記協定の成立前においては、メジャーリーグの球団は、日本での最終所属球団の承諾を得ることが強制されていなかったことによる。 また、1996年には、FAではなかった伊良部秀輝が当時の所属球団であるロッテに対し、ニューヨーク・ヤンキースへの移籍を強く主張、結果、サンディエゴ・パドレスへのトレードを経て、ヤンキースへの移籍を実現させた。このことが、ポスティング制度の確立に繋がっている。
[編集] 制度の利用
近年、一部のメジャー志望選手がシーズンオフなどに本制度による移籍を訴える光景が見られるが、球団側が応じた例は限られている。ただし、FA権取得1~2年前になるとやや軟化する傾向も出て来ている。これは、FAで、日本国内間の移籍の場合は、旧所属球団は金銭か人員の補償を求めることが出来るのに対し、メジャーリーグへの移籍の場合には前述の野茂の例と同様に見返りを一切得られないためである。
問題点の一つとして、落札した米国球団に、権利金の支払いなどが求められていないことから、自球団への選手獲得を目的としない入札への脆弱性が挙げられる。落札した金額は、当該選手との契約の締結に至った場合にのみ支払いが求められるため、契約しないことを前提とすれば、いくらでも高額の入札が可能となり、結果的に当該選手の獲得を希望する他球団を妨害することができることになる。
[編集] 過去のポスティング実施例
落札日 | 選手 | 日本での所属球団 | 落札球団 | 落札金額 |
---|---|---|---|---|
1999年2月2日 | アレファンドロ・ケサダ | 広島東洋カープ | シンシナティ・レッズ | 40万1ドル |
2000年11月9日 | イチロー | オリックス・ブルーウェーブ | シアトル・マリナーズ | 1312万5000ドル |
2002年1月9日 | 石井一久 | ヤクルトスワローズ | ロサンゼルス・ドジャース | 1126万ドル |
2003年2月6日 | ラモン・ラミーレス | 広島東洋カープ | ニューヨーク・ヤンキース | 30万50ドル |
2003年11月19日 | 大塚晶文 | 中日ドラゴンズ | サンディエゴ・パドレス | 30万ドル |
2005年1月28日 | 中村紀洋 | オリックス・バファローズ | ロサンゼルス・ドジャース | 非公表 |
2005年12月6日 | 森慎二 | 西武ライオンズ | タンパベイ・デビルレイズ | 100万ドル |
2006年11月9日 | 松坂大輔 | 西武ライオンズ | ボストン・レッドソックス | 5111万1111ドル11セント |
2006年11月11日 | 岩村明憲 | 東京ヤクルトスワローズ | タンパベイ・デビルレイズ | 455万ドル |
2006年11月29日 | 井川慶 | 阪神タイガース | ニューヨーク・ヤンキース | 2600万194ドル |
[編集] 入札がなかった例
落札日 | 選手 | 日本での所属球団 | その後 |
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1999年2月2日 | ティモニエル・ペレス | 広島東洋カープ | 広島と再契約 |
2002年12月18日 | 大塚晶文 | 大阪近鉄バファローズ | 近鉄と再契約後中日へ金銭トレード |
2005年11月30日 | 入来祐作 | 北海道日本ハムファイターズ | 自由契約となり、メッツと契約 |