石井一久
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守備位置 | 投手 |
所属球団 | 東京ヤクルトスワローズ |
背番号 | 16 |
日本でのキャリア | 1992-2001, 2006- |
アメリカでのキャリア | 2002-2005 |
誕生日 | 1973年9月9日 |
身長 | 183 cm |
体重 | 98 kg |
打席 | 左 |
投球 | 左 |
出身校 | 東京学館浦安高校 |
年俸 | $N/A |
出身地 | 千葉県千葉市 |
前所属球団 | ニューヨーク・メッツ |
MLBデビュー年 | 2002年4月6日 |
ニックネーム | Kaz |
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石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、東京ヤクルトスワローズの投手。コントロールは粗いが、非常に切れのいい速球と左打者の後ろから入ってくるような大きく割れるカーブを投げることで知られる。マネージメントは吉本興業スポーツ部。
目次 |
[編集] 来歴・人物
千葉県千葉市若葉区出身。妻は元フジテレビアナウンサーの木佐彩子。
183センチ、98キロ、左投げ、左打ち、O型。2005年シーズンの自身の登板の際の入場曲に、松平健の大ヒット曲マツケンサンバIIを選ぶことを、毎年恒例の年1回のニッポン放送オールナイトニッポン(石井一久のオールナイトニッポン)で決めた。2006年はニッポン放送の石井一久のプロ野球バンザイのパーソナリティーをしながら、野球をするという多忙なスケジュールをこなしている。
[編集] 略歴
- 1989年、千葉市立みつわ台中学校卒業。東京学館浦安高等学校入学(当初は東洋高等学校入学予定だった。しかし、あまりの成績の悪さ(九九や掛け算、割り算が出来ない、漢字が読めない)に東洋高校の受験担当者が入学を渋ったため、入学できなかった)[要出典]。
- 1992年、高校卒業後、ドラフト1位でヤクルトに入団。
- 1997年、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でノーヒットノーランを達成。(プロ65人目)
- 1998年、セ・リーグ最多奪三振。シーズン三振奪取率11.047は日本新記録
- 2000年、セ・リーグ最優秀防御率と最多奪三振の二冠に輝く。
- 2002年、ポスティング・システム(入札制度)によってメジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。開幕6連勝と好調なスタートを切ったが、9月8日のアストロズ戦で強烈なピッチャーライナーを頭部にまともに受けてしまう。病院に直行した結果「頭蓋骨の亀裂骨折」と診断され、このシーズンどころか選手生命の危機に立たされる(当たった所がボール1個分ずれていたら本当に危なかったという)。
- 2005年、ジェイソン・フィリップスとのトレードでニューヨーク・メッツに移籍。突然のトレードで動揺し1勝にとどまった。
- 2006年、盟友・古田敦也が選手兼任監督に就任したヤクルトへ復帰し、ローテーションをきちんと守り、期待通りの活躍を見せており、日本での5年ぶりの2桁勝利を挙げたほか、チームのAクラス復活に貢献した。
[編集] エピソード
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- ルーキー時代の1992年すでに1軍帯同しており、日本シリーズ第3戦に先発している(しかも当時まだ一軍未勝利である)。入団時から背番号は16で、球団の大きな期待がわかる。
- 初勝利は1993年の阪神戦。雨天コールドで拾った勝利だった。
- 大きいカーブが武器で新人時代の松井秀喜とオープン戦で対戦したとき松井が死球になると思ってしりもちをついた程であった。
- 1997年のノーヒットノーランは、4四球を含むものであったために、当時の横浜の投手コーチであった権藤博からは「あんなものはノーヒットノーランじゃない」と言われたが、横浜打撃陣からは「早くメジャーに行って欲しい」とコメントされた。
- ヤクルト時代の初期、あまりのコントロールの悪さから捕手の古田とは投球コースのサインでストライクゾーンに入れるか外すかしか決めていなかったらしい。
- 彩子夫人との結婚を発表した記者会見の席上、妻の得意料理を質問され「生野菜です」と答え報道陣に大爆笑されたが、肝心の彩子夫人からはこっぴどく怒られた。
- ドジャース入団会見では「僕の妻はカリフォルニア人」と話し、会場の爆笑を誘う。
- ドジャース時代、試合中にトイレの個室で「休んでいた」ほど、マイペースである。
- 2001年リーグ優勝の時には真っ先にベンチを飛び出し、胴上げ投手である高津臣吾に捕手の古田よりも早く抱きつく(普通、優勝の瞬間は投手と捕手が抱き合う)。さらに、同年の日本シリーズでは最後の打者、藤井彰人の打球がファールグラウンドに上がったキャッチャーフライであったのをいいことに、ベンチからカニ歩きで出てきて、捕球の瞬間にダッシュ。やはり高津と抱き合った。
- 同じく2001年のリーグ優勝時の若松勉監督の胴上げで、同僚の石井弘寿と共謀し、小柄である若松監督の足を高々と上に突き上げ(古田の証言によると胴上げの時、若松監督の足を肩に御輿を担ぐように乗せてやる気満々だったらしい)、回転させるという危ないいたずらをした。
- 早期の引退をほのめかす発言も多く、引退後はテレビ局での仕事を求め、アシスタント・ディレクターになりたいとの発言もあった。
- 古田、高津とは私生活でも家族ぐるみの交流があり、シーズンオフには自主トレも兼ねた海外ゴルフを行う。
- フジテレビの番組企画(罰ゲーム)で「一日ヤクルトレディ」を経験し、実際に企業へ営業に行ったこともある。
- 通算で3本塁打を放っており、打撃もよい。
- 「15」という数字が嫌いで、「15勝するなら14勝の方がいい。」と冗談ともつかないことを言ったことがある。
- 送りバントをした際、一塁と本塁の中間あたりでこけてしまい「プロ野球 名場面&ハプニングシーン」でそのシーンが放映された。(送りバント自体は成功)
[編集] 投球スタイル
若い頃は、最速153km/hのストレートと左腕独特の切れ味鋭い大きなスライダーで三振の山を築いてきた速球投手であったが、近年は変化球や投球術に長けた技巧派左腕にスタイルが変わった。開幕戦、日本シリーズ等重要な試合に強く、負けた事が殆ど無いのも特徴である。ちなみに2006年ヤクルトに復帰した際は、2種類のカットボールとチェンジアップ、ツーシームを身に付けており、これまでの持ち球スライダー、カーブ(スラーブという説もある)フォークから大幅に球種がふえている。その反面直球のスピードは平均140km/h程度に落ちているが、奪三振率はいまだに高い。
[編集] 年度別成績
- 表中のこの数字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 試合 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | YS | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 28 1/3 | 22 | 13 | 4.12 |
1993年 | YS | 19 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | 59 1/3 | 66 | 31 | 4.70 |
1994年 | YS | 54 | 2 | 2 | 7 | 5 | 0 | 108 | 98 | 49 | 4.08 |
1995年 | YS | 26 | 3 | 0 | 13 | 4 | 1 | 153 | 159 | 47 | 2.76 |
1996年 | YS | 8 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 31 | 26 | 18 | 5.22 |
1997年 | YS | 18 | 2 | 2 | 10 | 4 | 0 | 117 2/3 | 120 | 25 | 1.91 |
1998年 | YS | 28 | 6 | 0 | 14 | 6 | 0 | 196 1/3 | 241 | 72 | 3.30 |
1999年 | YS | 23 | 2 | 1 | 8 | 6 | 0 | 133 | 162 | 71 | 4.80 |
2000年 | YS | 29 | 3 | 1 | 10 | 9 | 0 | 183 | 210 | 53 | 2.60 |
2001年 | YS | 27 | 0 | 0 | 12 | 6 | 0 | 175 | 173 | 66 | 3.39 |
2002年 | LAD | 28 | 0 | 0 | 14 | 10 | 0 | 154 | 143 | 73 | 4.27 |
2003年 | LAD | 27 | 0 | 0 | 9 | 7 | 0 | 147 | 140 | 63 | 3.86 |
2004年 | LAD | 31 | 0 | 0 | 13 | 8 | 0 | 172 | 99 | 90 | 4.71 |
2005年 | NYM | 19 | 0 | 0 | 3 | 9 | 0 | 91 | 53 | 52 | 5.14 |
2006年 | YS | 28 | 0 | 0 | 11 | 7 | 0 | 177 2/3 | 170 | 68 | 3.44 |
[編集] 通算成績
- (2006年シーズン終了時点)
[編集] タイトル
[編集] 記録
- 1997年9月2日 対横浜23回戦(横浜スタジアム) プロ65人目
- シーズン最多暴投20個
- 1998年
- 通算1000奪三振達成スピード歴代2位
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- @Kaz(公式サイト)
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