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岩村 明憲
[[Image:||岩村 明憲]]
|
守備位置 |
三塁手 |
所属球団 |
タンパベイ・デビルレイズ |
背番号 |
1 |
日本でのキャリア |
1997年-2006年 |
アメリカでのキャリア |
2007年- |
誕生日 |
1979年2月9日 |
身長 |
176 cm |
体重 |
92 kg |
打席 |
左 |
投球 |
右 |
出身校 |
宇和島東高校 |
年俸 |
$1,800,000(2007年) |
出身地 |
愛媛県宇和島市 |
前所属球団 |
東京ヤクルトスワローズ |
MLBデビュー年 |
2007年4月2日 |
ニックネーム |
|
Template |
岩村 明憲(いわむら あきのり、1979年2月9日 - )は、アメリカメジャーリーグのタンパベイ・デビルレイズに所属する内野手(主に三塁手)である。背番号は1。既婚。
[編集] 来歴
[編集] 人物
- 右投左打。強打・俊足・好守に強肩と、走・攻・守の三拍子が揃った三塁手である。中西太臨時打撃コーチから受け継いだ「何苦楚魂」が座右の銘である。赤色を好んでおり、2002年前後からリストバンド、バッティンググローブ、RAKUWAネック、練習用Tシャツなど用具類を赤で統一していた。バットも濃い赤色の物や、薄赤色と橙色の中間色の物を使用していたが、2005年からは使用出来るバットの色に規制が設けられたため(大リーグの規定に倣い自然色・こげ茶・赤褐色・黒の4色に制限)、黒バットに再び戻してプレーすることとなった。デビルレイズに移籍した後はメジャーリーグの規定(チームカラーの色が入ったものでないといけない)でチームカラーである緑色に変えた(リストバンドやバッティンググローブなども含む)。
- サインの書体もかなり変化している
- 背番号48時代(初期)…複雑な漢字系タイプ(48入り)
- 背番号1時代(中期)…『Gun #1』(「Gun」を渦巻き状にした感じ系のタイプに#1入り)
- メジャーリーグ時代…『Iwamura #1 明』(「I」の字は「ℓ」のような字で大きめにに書かれており、サインの上真ん中に自分の名前である「明」の一文字あるのが特徴。これはニックネームだった「Gun」からデビルレイズ移籍を機に「Aki」に定着させるためである)
- レギュラーに定着した当初は体の線が細く、いかにも「俊足巧打」の選手の印象が強かったが、本格的にウエイトトレーニングを取り入れた近年では、見違えるように逞しい筋肉質の体型になった。
- 三振が多いことが特徴で、2004年のシーズン173三振はセ・リーグ新記録ばかりでなく、セ・パ両リーグを通じた日本人新記録(それまでの日本人最多記録は1997年に清原和博が記録した152)であった。シーズン三振記録の1位~4位まではラルフ・ブライアントが独占している為、日本人では最多の三振数である。但し、この年も打率3割は確保しており、単純にミート技術が劣っているという訳ではない。
- 2002年までは主に6番、2003年以降は3番打者として、ヤクルトの不動のレギュラーであった。2003年は開幕戦で手首を故障し長期離脱。代わりに三塁に入った鈴木健が大活躍していたため、復帰後しばらくは外野手(中堅手)として出場した時期もあった。急造の外野手でありながら、打球勘や送球などの守備技術は並みの外野手と遜色なく、岩村の高い身体能力を見せ付けていた。
- 本職である三塁守備は、ゴールデングラブ賞6度の実績どおりに高いレベルにある。レギュラーに定着した当初は重要な場面でのタイムリーエラーが目立っていたが、猛練習で克服。宮本慎也と組む三遊間はセ・リーグ屈指の実力であった。
- 打撃と守備だけではなく脚力も優れており、チームでも1、2を争う俊足である。その割には盗塁数は少なく(2001年の15が自己最多)、岩村本人が目標として掲げていた「トリプルスリー」(3割・30本・30盗塁)を日本で達成するには至らなかった。これはどちらかといえば岩村の盗塁技術の良し悪しよりも、次の打順を打つことが多かったアレックス・ラミレスの選球眼の悪さ、早打ちなどに起因するとの解釈が一般的である。
- 2006年、WBCの日本代表にも選出され、6番・三塁に定着したが、準決勝の韓国戦において本塁クロスプレーで負傷(セ・リーグの開幕戦も、この怪我の影響か出場できなかった)。決勝戦は代表で三塁手の控えだった今江敏晃が出場した。
- 清原和博と親交が深いらしく、清原も「可愛いヤツや」と弟分のように語っている。清原から貰ったバットでホームランを打ったこともある。
- 最愛の母親が亡くなった時に「試合で活躍するのが一番の供養」と考え、あえて葬儀には出ず喪章を付けて試合に出場した。
- かつてフジテレビの某スポーツバラエティ番組内にて準レギュラーの金村義明からメジャーで通用する野手として真っ先に名前を挙げられていた。そのため今後の成否は岩村本人の選手としての真価とともに金村自身の解説者・評論家としての資質も問われるということになっている。
[編集] 背番号
[編集] 年度別成績
年度 |
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死球 |
三振 |
併殺 |
残塁 |
打率 |
出塁率 |
長打率 |
年俸 |
1998 |
YS |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
1999 |
YS |
83 |
252 |
28 |
74 |
11 |
4 |
11 |
126 |
35 |
7 |
0 |
2 |
19 |
46 |
2 |
60 |
.294 |
.342 |
.500 |
2000 |
YS |
130 |
436 |
67 |
121 |
13 |
9 |
18 |
206 |
66 |
13 |
9 |
1 |
43 |
103 |
7 |
79 |
.278 |
.342 |
.472 |
2001 |
YS |
136 |
520 |
79 |
149 |
24 |
4 |
18 |
235 |
81 |
15 |
5 |
4 |
35 |
111 |
6 |
106 |
.287 |
.329 |
.452 |
2002 |
YS |
140 |
510 |
67 |
163 |
35 |
2 |
23 |
271 |
71 |
5 |
2 |
4 |
61 |
114 |
10 |
131 |
.320 |
.390 |
.531 |
2003 |
YS |
60 |
232 |
43 |
61 |
6 |
2 |
12 |
107 |
35 |
5 |
2 |
1 |
23 |
55 |
3 |
43 |
.263 |
.328 |
.461 |
2004 |
YS |
138 |
533 |
99 |
160 |
19 |
0 |
44 |
311 |
103 |
8 |
0 |
4 |
74 |
173 |
5 |
105 |
.300 |
.383 |
.583 |
2005 |
YS |
144 |
548 |
83 |
175 |
31 |
4 |
30 |
304 |
102 |
6 |
0 |
5 |
65 |
146 |
2 |
139 |
.319 |
.388 |
.555 |
2006 |
YS |
145 |
546 |
84 |
170 |
27 |
2 |
32 |
297 |
77 |
8 |
1 |
3 |
71 |
128 |
5 |
132 |
.311 |
.389 |
.544 |
Total |
YS |
977 |
3,580 |
550 |
1073 |
166 |
27 |
188 |
1,857 |
570 |
67 |
19 |
24 |
391 |
878 |
40 |
795 |
.300 |
.366 |
.519 |
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン 2回(2002年、2006年)
- ゴールデングラブ賞 6回(2000年~2002年、2004年~2006年)
- 月間MVP 1回(2004年8月)
- 日本シリーズ優秀選手賞 1回(2001年)
- シーズン173三振(2004年) ※セ・リーグ記録
- オールスター出場 3回(2001年、2004年、2005年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1996年ドラフト指名選手 |
1位:伊藤彰 / 2位:岩村明憲 / 3位:山崎貴弘 / 4位:小野公誠 / 5位:副島孔太 |