マツダスピード
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マツダスピードはかつて存在したマツダ系列のモータースポーツ会社。マツダ車のディーラーであるマツダオート東京(後のアンフィニ東京、現・関東マツダ)が母体となって誕生した。
1973年、シグマ・オートモーティヴ(現在のサード)がル・マン24時間レースに参戦する際にエンジン供給を行ったことがきっかけでレースに関わるようになった。
1979年にマツダスピードとして正式にル・マンにエントリーするが(マシンはマツダ・RX-7)、準備不足がたたって途中リタイアを喫することに。この頃はまだメーカーワークスと言えるような体制ではなく、むしろディーラーチームの体裁であった。
1983年、マツダの前身・東洋工業、マツダオート東京ほかの出資で法人化、「株式会社マツダスピード」として正式にスタートする。
その後、徐々にメーカーから技術者が送り込まれるようになり、マツダ・ファミリア4WDをベースにしたグループAによる世界ラリー選手権(WRC)参戦を果たすなどマツダのモータースポーツ部門としての地位を確立した。
1991年にはマツダ787Bでル・マン24時間レースに参戦し、2006年現在日本車による唯一の総合優勝を飾るなど華々しい活躍を見せるが、マツダの経営不振によるモータースポーツ活動縮小のあおりを受け、マツダの市販車向けアフターパーツの販売やプライベーター支援活動のみに規模を縮小。その後1999年7月にマツダ本体に吸収される形で、法人としての「株式会社マツダスピード」は消滅した。
マツダへの統合後は、マツダ車専用チューニング・パーツのブランド名、限定仕様車や走行性能を特に高めた市販車のブランド名として「マツダスピード」が使われている。また、マツダ車ユーザー向けイベント(サーキットトライアル)としてマツダスピードカップが開催されている。
[編集] 補足
- 全国のマツダ販売会社と提携して、自社製品ショールーム「スポーツファクトリー」を展開した。