マリアノ・リベラ
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守備位置 | 抑え投手 |
所属球団 | ニューヨーク・ヤンキース |
背番号 | 42 |
日本でのキャリア | N/A |
アメリカでのキャリア | 1995年- |
誕生日 | 1969年11月29日 |
身長 | 188 cm |
体重 | 88.5 kg |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
出身校 | N/A |
年俸 | $10,500,000 |
出身地 | パナマ共和国パナマシティー |
前所属球団 | N/A |
MLBデビュー年 | 1995年5月23日 |
ニックネーム | Mo |
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マリアノ・リベラ(Mariano Rivera, 1969年11月29日-)はパナマ出身のアメリカメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースの投手。背番号は42。
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[編集] 経歴
1995年にデビュー。当初は先発候補であり、19試合に登板した10試合が先発であった。しかし初めて登板した試合は10-0の大敗。翌シーズンの春季キャンプでリリーフ候補に変更される。また当時の球速は90mph前後と特段すばらしいとは言えず、監督・コーチからは特段目にかけられずにマイナーリーグとメジャーリーグを行き来していた。25歳の時には年齢的にこれ以上の進歩はあり得ないと見切られ、当時デトロイト・タイガースのデービッド・ウェルズとのトレード要員としてリストアップされている。ところがその年に周囲の予想に反してリベラの球速が95mphに上がり、交換要員リストからは結局外された。1997年にチームメートのラミロ・メンドーサとキャッチボールをしていた際に、ストレートを投げようとして投げたボールがメンドーサから見て右にスライドして行った。リベラの話だとメンドーサはこれにかなり立腹したそうであるが、数日後にデトロイトで再びキャッチボールをした際、やはり右にボールがそれて行ったので二人で話し合って試合で投げたらどうなるかを試してみようという話になった。これが今では代名詞ともなっているカッター(カットファストボール)につながっている[1]。同年から抑えを任されるようになったが開始直後からの6回のセーブ機会中4回を失敗。自信を喪失している所に監督のジョー・トーリと当時ピッチングコーチだったメル・ストットルマイヤーに「ここにいる限りはクローザーはお前だよ(As long as you are here, you'll be the closer.)」と励まされて立ち直り、この年はリーグ2位となるシーズン43セーブを記録。しかしディビジョン・シリーズの第4戦では、当時クリーブランド・インディアンズのサンディー・アロマー・ジュニアに同点となるホームランを打たれ、結局チームはこのシリーズで敗退した。翌1998年の春季キャンプに再び監督とピッチングコーチからこの事は気にするなと諭(さと)されて気持ちを切り替え、シーズンでは36セーブ・防御率1.91を記録。その後も45セーブ、50セーブ、2004年には53セーブでタイトルを獲得、2005年レギュラーシーズンも年間でセーブ失敗はわずか3回などアンヒッタブルと言われるまでに成長した。2005年シーズン終了時のリベラの持つポストシーズン通算34セーブは、従来の記録を大幅に塗り替える大リーグ新記録となっているのに加え、ポストシーズン通算で1点台を切る防御率も特筆に値する。2006年にはピッチングコーチのロン・ギドリーの指導の下にチェンジアップを習得している。
[編集] エピソード
2004年地区リーグでミネソタ・ツインズを破った際に義弟のビクター・ダリオ・アビラとその息子が不慮の事故で亡くなったという訃報を受ける。すぐさま母国のパナマへ帰国し、葬儀に参加。その後不眠不休に加えて食事も一切とらずにヤンキースタジアムへ引き返し、ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ・チャンピオンシップ第1戦に登板。見事セーブを挙げている。
[編集] 特筆
- 敬虔なキリスト教徒として知られる。
- 父親が漁師をしており、その仕事の大変さを幼少の頃から眺めて「自分には到底できない(It was a job that was way too tough for me)」と痛感し、野球選手を目指す事になった。
- 150km/h超で20cm以上落ちると言われるカッターを投げる。
- 背番号は42。これはジャッキー・ロビンソンの栄誉を称えるものとしてメジャーリーグ全球団共通の永久欠番となっているが、制定された1997年以前からつけている選手に関しては特例としてつけることが認められている。リベラはメジャーリーグ全球団で最後の背番号42で、リベラの退団後は、ヤンキースでも42は正式に永久欠番となる予定である。
- 名前の読み方は日本風にカタカナ読みするとマリアノと読みたくなるが、アメリカの実況や日本の資料を見てみても、マリアーノと読まれているのが一般的である。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | イニング | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 四球 | 奪三振 |
1995 | NYY | 5 | 3 | 5.51 | 19 | 10 | 0 | 67.0 | 71 | 43 | 41 | 11 | 30 | 51 |
1996 | NYY | 8 | 3 | 2.09 | 61 | 0 | 5 | 107.2 | 73 | 25 | 25 | 1 | 34 | 130 |
1997 | NYY | 6 | 4 | 1.88 | 66 | 0 | 43 | 71.2 | 65 | 17 | 15 | 5 | 20 | 68 |
1998 | NYY | 3 | 0 | 1.91 | 54 | 0 | 36 | 61.1 | 48 | 13 | 13 | 3 | 17 | 36 |
1999 | NYY | 4 | 3 | 1.83 | 66 | 0 | 45 | 69.0 | 43 | 15 | 14 | 2 | 18 | 52 |
2000 | NYY | 7 | 4 | 2.85 | 66 | 0 | 36 | 75.2 | 58 | 26 | 24 | 4 | 25 | 58 |
2001 | NYY | 4 | 6 | 2.34 | 71 | 0 | 50 | 80.2 | 61 | 24 | 21 | 5 | 12 | 83 |
2002 | NYY | 1 | 4 | 2.74 | 45 | 0 | 28 | 46.0 | 35 | 16 | 14 | 3 | 11 | 41 |
2003 | NYY | 5 | 2 | 1.66 | 64 | 0 | 40 | 70.2 | 61 | 15 | 13 | 3 | 10 | 63 |
2004 | NYY | 4 | 2 | 1.94 | 74 | 0 | 53 | 78.2 | 65 | 17 | 17 | 3 | 20 | 66 |
2005 | NYY | 7 | 4 | 1.38 | 71 | 0 | 43 | 78.1 | 50 | 18 | 12 | 2 | 18 | 80 |
2006 | NYY | 5 | 5 | 1.80 | 63 | 0 | 34 | 75.0 | 61 | 16 | 15 | 3 | 11 | 55 |
Total | 12年 | 59 | 40 | 2.29 | 720 | 10 | 413 | 881.2 | 691 | 245 | 224 | 45 | 226 | 783 |
- ポストシーズン: 72試合登板 8勝1敗34セーブ 防御率0.81