ミック・マッカーシー
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ミック・マッカーシー(Mick McCarthy、1959年2月7日 - )は、イングランド出身の元サッカー選手・監督。
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[編集] 選手時代
イングランドのバーンズリーに生まれ育ち、1977年に地元バーンズリーFCで選手生活をスタート。その後、マンチェスター・シティやセルティックなどに在籍。1984年にはイングランド人ながらアイルランド代表に参加し(父親のチャールズがアイルランド人であったため、彼はイングランド代表の他にアイルランド代表を選ぶことも出来た)、1992年以降はキャプテンとしてチームを支えた。ポジションはセンターバック。アイルランド代表としては57キャップを記録している。
[編集] 監督時代
1991年、在籍していたミルウォールの監督に就任して指導者としての道を歩み始め、2002年の日韓W杯ではアイルランド代表を率いベスト16入りに貢献したが、その一方で、大会直前にチームのエースであったロイ・キーンと対立し、メンバーから外した事件もあった。この背景にはイングランド生まれ、育ちであるマッカーシーとロイ・キーンらアイルランド生まれのアイルランド人選手たちとの間の感情的な対立関係があり、マッカーシーに対し彼がイングランド人であることを罵倒する言葉をキーンが発したことが最終的な決裂へと繋がったとも言われている。キーンはこの事件後即座にアイルランドに帰国し、この二人の行動をめぐり国内を二分する大きな議論を巻き起こした。
その後、11月に同国代表監督を辞任。2003年3月からサンダーランドの監督に迎えられ、2004-2005シーズンにはチャンピオンシップ(2部相当)を圧倒的な強さで優勝し、プレミアシップに復帰させた。しかしクラブの予算は厳しく、殆ど補強出来ないままに挑んだ2005-2006シーズンのプレミアシップでは大苦戦し、ホームで1勝も上げられないまま、2006年3月にクラブを解任された。
2006年7月にはウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズの監督に就任し、下位に低迷していたチームをシーズン後半にはプレーオフ圏に食い込ませた。
彼の指揮は良くも悪くもメンタル面が先に立ち、勢いが出たときは一気に勝ち進むが、現時点では緻密な戦術指導を欠く為、勢いが止まった時には、特に格上のタレントを揃えたチームに歯が立たないのが特徴である。結果として、プレミアシップのような上位と下位の戦力差が非常に大きなリーグでは、ほとんど見るべき成果を残していない。逆に、クラブ間の戦力差がさほど無い2部以下では、これまでのところ非常に有能な監督としか言いようがない成績を残している。
[編集] 選手経歴
- バーンズリー(イングランド) 1977-1983
- マンチェスター・シティ(イングランド) 1983-1987
- セルティック(スコットランド) 1987-1989
- リヨン(フランス) 1989-1990
- ミルウォール(イングランド) 1990-1992
[編集] 指導者経歴
- ミルウォール: 監督 1992-1996
- アイルランド代表: 監督 1996-2002
- サンダーランド(イングランド): 監督 2003-2006
- ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズ(イングランド):監督 2006-