ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム
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シェイク・ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(محمد بن راشد آل مكتوم Sheikh Muhammad bin Rāshid Āl Maktūm, 1949年 - )は、ドバイ首長国のアミール(首長)。世界でも有数の競走馬のオーナーブリーダーでもあり、その場合は英語読みに近いシェイク・モハメッド(あるいはモハメド)の名で紹介されることが多い。
[編集] プロフィール
ラーシド首長の三男。少年期をドバイで過ごし、1966年にイギリスに留学、語学学校、士官学校で学んだ。ドバイへ帰国後、1971年にドバイなどイギリスの保護国である6首長国が独立、アラブ首長国連邦を結成すると、その国防大臣に就任する。1973年に発生した日本赤軍による日本航空機ハイジャック事件で交渉人を務め、人質の解放、犯人グループの投降に貢献した。
イギリス帰りのムハンマドはアラブの君主国家の指導者としては進取の気性に富み、首長国連邦の軍事、ドバイの内政において辣腕を振るった。1990年、父の死去により兄のマクトゥームが即位すると、兄により皇太子に指名された。
皇太子時代は海外での滞在が多いマクトゥーム首長にかわってドバイの政務をとり、海外からの投資を積極的に受け入れ、ドバイを湾岸地域における観光と商業の中心都市に成長させた。また、現在中東のハブ空港として知られるドバイ国際空港やエミレーツ航空も、ムハンマドの構想によるものである。
2006年1月、兄マクトゥーム首長が滞在先のオーストラリアで急死したため、ドバイの首長に即位した。
[編集] 競馬との関わり
イギリスで高等教育を受けたムハンマドは競馬に関心が深く、世界でも有数のオーナーブリーダーとして知られる。
彼は早くからイギリスなどで馬主として活動していたが、1994年、競走馬の生産・管理・調教などを行う組織ゴドルフィン(Godolphin)を設立して本格的に活動を開始した。
また、1996年には世界最高額賞金を誇る競走、ドバイワールドカップを創設した。1999年にはエミレーツ航空をスポンサーとしてワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップを創設(後にエミレーツ航空は撤退)、世界の名馬がその能力を競う場を提供した。
日本の競馬にも関心を持っており、ハートレイク(安田記念)など多くの馬を出走させている。また2003年には日本現地法人ダーレー・ジャパン・レーシングを設立し、法人として地方競馬の馬主免許を取得。船橋競馬場の川島正行厩舎を拠点として活動している。
[編集] 外部リンク
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