メジロファントム
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1975年5月1日 |
死没 | 2004年11月11日 |
父 | ロンバード |
母 | メジロハリマ |
生産 | 吉田堅 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 北野俊雄 |
調教師 | 大久保洋吉(美浦) |
競走成績 | 44戦5勝 |
獲得賞金 | 2億8512万4800円 |
メジロファントムは、日本の競走馬である。主戦騎手は主にメジロ御用達の横山富雄、晩年は的場均が担当している。
70年代末期から80年代初頭の競馬シーンにおいて名脇役として活躍し、その名前から「オバケ戦闘機」「幽霊戦闘機」のニックネームを持つ(ファントムの名前の由来は、当時の西側諸国が多く採用していた戦闘機F-4Ⅱの愛称であり、phantomは英語で「幽霊」の意味を持つが故このニックネームとなった)。
重賞勝ちは東京新聞杯と目黒記念(秋)の2勝だけだが、有馬記念と天皇賞(秋)で2着(有馬記念は2年連続)の経験がある。 特に、1979年天皇賞(秋)は最後の直線で郷原洋行鞍上のスリージャイアンツと併せ馬の形となったのが裏目となった。また有馬記念ではカネミノブを駆り連覇を狙った加賀武見にインターフェアでは無いかと訴えられる程のアグレッシブな騎乗もこれが引退レースのグリーングラスには通じず、共にハナ差の惜敗に終わっている。 因みに、有馬記念には5年連続出走しており(しかも、1980年は一番人気での出走)、ナイスネイチャと共に最多連続出走記録となっている。
現役引退後は馬格の無さが仇となり種牡馬になれず、東京競馬場の誘導馬として競馬場に帰還する事となった。 通常、誘導馬は芦毛や尾花栗毛といった色彩の美しい馬が務めるものだが、ファントムは鹿毛ながらも風格ある姿勢で誘導馬を勤め上げた。 1995年に高齢の為、目黒記念を最後に誘導馬を引退。 引退の日、誘導馬であるにも関わらずパドックには横断幕も登場し、ファンは彼の「2回目の引退」を心から惜しんだ(因みに、競走馬としての引退式も東京競馬場で行っている)。
誘導馬を引退した後は功労馬として北海道で余生を過ごしていたが、2004年に老衰の為29歳の長い生涯を閉じた。
因みに、半弟メジロジュピターは中山大障害(春)を、半妹メジロハイネもセントライト記念と中山牝馬ステークスに勝つ活躍をしている。