メッカ
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メッカ(アラビア語: مكة المكرمة、またはマッカ・アル=ムカッラマ)は、サウジアラビアのマッカ州(歴史的にいえばヒジャーズ地域)の州都である。別名をウンム・アル=クラー(ام القرى Umm al-Qurā、町々の母)という。日本語のもとでは長らくメッカと呼び慣わされてきたが、近年は学術的な分野を中心に標準アラビア語の発音により近いマッカが好まれつつある(1980年代にサウジアラビア政府は当市の名前の公式な英語訳を、西洋人が以前から一般に用いてきたつづりである 'Mecca' から 'Makkah' に改めた)。
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[編集] 概要
人口は1,294,167人(2004年国勢調査)。ジェッダから73km内陸に入った、狭い砂地のアブラハムの谷にあり、海抜277mである。紅海からは80km離れている。
メッカはイスラム教最大の聖地とされており、当地へのハッジ(巡礼)は、体力と財力が許す限りあらゆるムスリム(イスラム教徒)が一生に一度は果たすべき義務である。ムスリムはマスジド・ハラーム(聖なるモスク。カアバを保護する。)を地上で最も神聖な場所と考えている。聖地であるため、イスラム教徒以外の入場はできず、通じる道路の手前にある検問所より先に行くことができない。
「メッカ」という言葉は、宗教的な意味に限らず、重要な場所、人を引きつける場所、あるいはどっと押し寄せた人々を表す言葉として、イスラム教徒に限らず、世界中のどこででも用いられるようになっている。
[編集] 地理
アラビア半島の西部、紅海に面したヒジャーズ地方の中心都市で、現在はサウジアラビア領である。乾燥気候で、砂漠に取り囲まれているが、ザムザムの泉の湧き水を頼りに、かろうじて人間が定住生活を行うことができる。
[編集] 宗教的意義
メッカは、イスラム教の開祖である預言者ムハンマドの生誕地であり、クルアーン(コーラン)において預言者イブラーヒーム(アブラハム)とその子のイスマーイール(イシュマエル)が建立したとされるカアバがある。
メッカへの巡礼が可能なムスリムには、巡礼を行う義務がある。この義務は信徒が守るべき主要な5つの義務の一つであり、巡礼を行ったムスリムは、ハッジと呼ばれ、人々に敬われる。メッカへの巡礼には幾つかの区別があり、大祭ともいわれるイードル・アドハー(犠牲祭)には毎年約3百万人が集まる。 一方でムスリムでない者には、メッカとマディーナへの立ち入りは厳しく制限されている。
またムスリムには、特別な事情がない限り、一日に5回メッカの方角を向いて祈りを捧げることが義務付けられている(ただしシーア派は3回)。
[編集] 歴史
ムハンマドが生まれた570年頃には、メッカはすでにアラビア半島の主要な商業都市であった。イスラム教を唱えだした後、 622年にヤスリブ(現在のマディーナ)へムハンマドは逃れる。これをヘジュラといい、イスラム暦はここから起算される。のち630年にムハンマドはメッカを支配下におさめ、カアバ神殿よりすべての偶像を取り除いた。これ以降メッカは聖地として尊ばれている。
1979年11月20日、マフディー(救世主)を頂く武装グループがマスジド・ハラームを占拠。サウジ当局により2週間後に鎮圧されたが、鎮圧部隊側の死者は127人、武装勢力側の死者は177人という惨事となり、首謀者らは公開斬首刑に処せられた。
2006年1月12日には、宗教儀式中に訪れた信者が将棋倒しとなる事故が発生し、345人の死亡が確認された。
[編集] 比喩表現
ある事柄における「あこがれの地」や「中心地」を「~のメッカ」と慣用されることがある。例えば「苗場はスキーのメッカ」「高校野球のメッカ、甲子園」、あるいは「競艇のメッカ、住之江」などというように使う。この場合にはメッカの呼び方が使われる。ただしムスリムやサウジアラビア政府はこのような用法を好まない。
[編集] 外部リンク
- メッカ(メッカへの方角が計算できる)
カテゴリ: サウジアラビアの都市 | イスラム教