モーリス・ウィルクス
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モーリス・ヴィンセント・ウィルクス(Maurice Vincent Wilkes、1913年6月26日 - )は、イギリスの情報工学者であり、情報処理分野でいくつかの重要な開発を行った。
[編集] 経歴
ウィルクスは1931年から1934年までケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジで学び、1936年には電離層での長波の伝播についての研究で物理学の博士号を取得した。彼はケンブリッジ大学の教職員に任命され、それが後にコンピュータ研究所の設立に関わる元となる。ウィルクスは第二次世界大戦中に軍隊に召集されて、レーダーとオペレーションズリサーチに関する仕事をした。
1945年、彼はケンブリッジ大学数学研究所(後のコンピュータ研究所)の副所長に任命される。ケンブリッジ研究所には当初から微分解析機などの様々な計算機器があった。彼はジョン・フォン・ノイマンのEDVACに関する草稿を入手した。EDVACはENIACの後継として開発中のコンピュータであった。彼はそれをすぐに返す必要があり、当時はコピー機もなかったので徹夜でそれを読んだという。彼はコンピュータの進むべき道はこれだと即座に理解した。
研究所は自己資金を持っていたので、ウィルクスはすぐに小型の実用機EDSACの開発に取り掛かった。ウィルクスはより優れたコンピュータを作るのではなく、大学が即座に使える簡単なものを作ることを目標とした。したがって、彼の手法は全く持って実用性重視だった。コンピュータの各部品を作るにも既知の手法だけを使った。結果として完成したコンピュータは、当時計画されていた他のコンピュータと比較しても小規模で低性能なものとなった。しかし、ウィルクスの研究所のコンピュータは世界初の実用化されたプログラム内蔵式コンピュータとして1949年5月に稼動開始したのである。
1951年、ウィルクスは高速なROM上の小型で高度に特殊化されたコンピュータプログラムを使ってコンピュータの中央処理装置を制御するという考え方を発展させ、マイクロプログラム方式の概念を生み出した。この概念はCPU開発を大いに単純化することとなる。マイクロプログラム方式は1951年のマンチェスター大学でのコンピュータ会議で初めて公開され、1955年のIEEE Spectrum誌(学会誌)でさらに発展した形で掲載された。この考え方を実装したのが EDSAC 2 であり、そこには設計を単純化するための「ビットスライス」方式も採用されていた。プロセッサをビット単位に交換/置換可能な真空管回路ユニットで構成したのである。当時としてはこれは非常に先進的であった。
ウィルクスの研究所の次のコンピュータは、Ferranti社との共同開発のTitanである。それはイギリスで初めてのタイムシェアリングシステムをサポートし、大学内ではさらに広範囲に計算資源にアクセスできるようになった。その中には機械CADのためのタイムシェアリング式グラフィックスシステムも含まれる。Titan のオペレーティング・システムの特筆すべき設計上の特徴は、アクセス制御をプログラム毎にしたことである(従来はユーザー毎)。また、後にUNIXが導入したパスワードの暗号化も導入している。また、プログラミングシステムには初期のバージョン管理システムが導入されている。ウィルクスはまたシンボルによるラベル、マクロ、サブルーチンライブラリといった概念も生み出した。これらはプログラミングを容易にする基本的な開発であり、高級言語へ続く道を示したものと言える。後にウィルクスは初期のタイムシェアリングシステム(現在ではマルチユーザー・オペレーティングシステムと呼ばれる)や分散処理などについても研究開発している。1960年代の終わりごろまで、ウィルクスは権限ベースの情報処理(セキュリティを高める方式のひとつ)にも興味を持ち、研究所では特殊なコンピュータ Cambridge CAP を設置した。
1956年、彼は王立協会のフェローに選ばれた。ウィルクスは1967年に第二回チューリング賞を受賞。以下は受賞理由の引用である。
- 「ウィルクス教授はEDSACの設計者および開発者として最も知られている。EDSACはプログラム内蔵式の世界初のコンピュータである。1949年に開発されたEDSACは水銀遅延線メモリを使った。彼は、1951年の『電子式デジタルコンピュータのためのプログラムの準備』(Preparation of Programs for Electronic Digital Computers)の著者としても知られている(Wheeler、Gill と共著)。その中でプログラムライブラリという考え方が事実上初めて紹介された」
1980年、彼は教授職と研究所の所長職を退職し、マサチューセッツ州メイナードにあるディジタル・イクイップメント・コーポレーションの中央技術スタッフとして参加した。1986年、ウィルクスはイギリスに戻り、オリヴェッティの研究戦略会議のメンバーになった。1993年、ウィルクスはケンブリッジ大学によって名誉博士号を贈られた。彼は2000年のニューイヤーオナーズリストの中でナイトに叙された。2002年、ウィルクスは名誉教授としてケンブリッジ大学コンピュータ研究所に戻った。
「私はこれからの人生の大半をプログラムのデバッグに費やすだろうと気がついた瞬間を今でも覚えている」とは、ウィルクスの言とされている。
[編集] 著作物
- Time-sharing Computer Systems. Elsevier, 1975. ISBN 0444195254
- 『ウィルクス自伝―コンピュータのパイオニアの回想』Memoirs of a Computer Pioneer(1985年)、丸善 1992年 ISBN 4621037439