傭兵
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傭兵(ようへい、Mercenary)とは金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である。
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[編集] 概説
直接に利害関係の無い第三者でも、大義、信念、信仰のためで金銭が主要目的でないものは義勇兵と呼ぶ。国軍の職業軍人は金銭で雇われているが、利害関係のある自国のために戦うため傭兵とは呼ばない。しかし、近代国家成立以前は、給料をもらう職業軍人はしばしば傭兵と称された。
マキャベリが『君主論』の中でその当時のフィレンツェが傭兵に依存している状況を批判して市民軍を創設すべきであると主張したり、また、実際に近代国家成立後に国民軍が作られたりしたことから、傭兵は国家に忠誠を尽くさずに金銭のために戦争をする戦争屋であるとして非難されるようになり、歴史上の傭兵まで悪いイメージをもたれるようになったが、 近代国家成立以前においては、傭兵は、市民兵、封建兵、徴集兵、奴隷兵と並ぶ主要兵制の1つであった。近世に入り各国で中央集権化が進むと、自国民から構成される常備軍が創設されるようになり、従来の傭兵の需要は減ったが、継続的に戦争が行われる中で、傭兵も常備軍と並び、封建軍に置き換わる兵力として使用された(三十年戦争など)。近代の帝国主義の時代には、非正規な軍事行動を母国の思惑に従って実施する民兵組織が傭兵的に利用された。
現在では、傭兵は国際法上で禁じられており、多くの国では自国民が傭兵になることを禁じているが、アフリカの紛争では常に民間軍事会社に雇われた傭兵が暗躍していると指摘されている。また、その他の地域の民族・宗教紛争などでも、義勇兵と傭兵の両要素をもった者が参加している例が多い。
[編集] 国民軍との違い
徴兵制または志願制による国民軍の軍人も、その多くは報酬を受け取っているが、彼らを傭兵と呼ぶことはない。それは、その歴史的経緯に由来する。
元来、兵役は自己の属する共同体を維持するための義務であり、無報酬であった。多くの国では初期にあっては装備品ですら、各人の負担であった。しかし、長期の戦争を戦い、それにより支配領域を拡大し、これを防衛するためには、兵役を務める者の生活を保障する必要がある。この生活保障の必要性から、兵役に報酬が支払われるようになったのである。
このように、国民軍の軍人は元来無報酬であり、さらに純粋な職業としてではなく、共同体に属するものとしての義務を果たしているという性質上、給与が支払われていても傭兵とは呼ばれない。
さて、上記のように、兵役を務める者の生活を保障する以外に、もう一つ長期戦を戦う方法がある。それが傭兵である。国民軍が、一定の市民的義務を負う者によって編成されるのに対して、傭兵はこの様な義務を負わない純粋に報酬を目的とする者であるという違いがあるのである。
[編集] 歴史上の傭兵
傭兵は自らの肉体しか財産を持たない男性が就き得る数少ない職業でもあったため、その歴史は非常に古く、身分や職業が分化し始めた頃にはすでに戦争に従事して日々の糧を得る人々がいたと推測される。古代オリエントでは徴兵軍、傭兵軍、奴隷軍が軍隊の構成要素であった。
傭兵とその他の兵種の区別が容易になる古代以降では、兵のなり手の少ない文化程度の高い豊かな国(古代ギリシア、ローマ、ビザンティン帝国、イタリア都市国家)が雇う例や、直属軍の少ない封建制国家の君主が、直属軍の補強として使う例がある。また、一般的に戦闘の際の臨時の援軍として使われた。
[編集] 日本
日本の武士は土地との繋がりが密接だったため、またしばしば長期の平和で戦争が途絶えることがあったため、欧州に見られるような傭兵は発達しなかった。
しかし、規模は小さかったものの南北朝時代には海賊衆と言われる水軍勢力や悪党・野伏・野武士と呼ばれる半農の武装集団や足軽などが比較的ポピュラーであったほか、雑賀・根来などの鉄砲、伊賀・甲賀の忍術といった特殊技能集団が傭兵的に雇われた。応仁の乱には骨皮道賢に代表される京中悪党と呼ばれる集団は図屏風にも描かれている。
また、出自が卑しくても、当時「器用人」と呼ばれた有能な武士は主人を幾度も替え、自分の才能を売り込み、藤堂高虎のように大名にまで出世した者もおり、事実上の傭兵とも言える。彼らの目的は金銭的恩賞というよりは、むしろ主君から与えられる功績に対して出される感状にあり、これを受けることで、次の仕官において高い報酬を得ることが可能となった。
もっとも大規模な傭兵雇用の例は大坂冬・夏の陣で大坂城に入城した浪人であろう。浪人の中には山田長政のようにアユタヤ・プノンペンなどに渡り現地の王朝に雇われる者も現れた。特に鎖国時代に入り、国内に活動の余地がなくなった日本の武士が多数海外に流出したのが当時の現象であった。ピーター・ウォーレン・シンガーによるとイギリス東インド会社の傭兵の半数は日本人であったとのことである。また、アンボイナ事件において日本人傭兵が殺害される事件がおきている。こうしたことから海外での日本人傭兵の活動の片鱗をうかがうことができる。
近世になると足軽は比較的、大名に「常勤」身分として雇われることが多かったが、それよりしたの中間、下人と呼ばれる身分は武家奉公人として必要時だけ雇われる「パートタイム」身分となることが多かった。
[編集] ヨーロッパ
古代ギリシア、ローマでは当初は市民兵が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族やガリア人など、のちにゲルマン人の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、屯田兵のような形にすることが多くなった。またマラトンの戦いで重装歩兵の威力を知ったペルシア帝国においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある。
中世においては、西欧の戦闘の主力は騎士を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期にはノルマン人、後には王制の未発達なフランドル、スペイン、ブルゴーニュ、イタリア人などが多かった。ビザンティン帝国では主力としてフランク、ノルマン、アングロ・サクソン傭兵が使われた。
中世の終わりから近世にかけてイタリアの都市国家は独立性を高め、盛んに傭兵を雇った。雇われるのはシニョーレと呼ばれるイタリアの小君主たちである(イタリア傭兵コンドッティエーレ)。
近世に入ると王権が強くなり、王は傭兵部隊を中心とした直轄軍を拡大させるようになる(フランス王国におけるスイス傭兵等)。やがて常備軍は自国の兵が中心となるが、戦争が定常的に起こる中、傭兵も大きな役割を果たした(ドイツ傭兵ランツクネヒトなど)。オラニエ公ウィレムが率いたスペインに対する反乱軍も、初期はほとんどがドイツ人傭兵で占められていた。
また16世紀から18世紀に盛んになった私掠船は海の傭兵と言うことができよう。海軍が大規模に常備されるようになる以前は、海戦の主力は臨時で雇われる海賊や海運業者たちであった。
近代になると、国民軍という発想が出てきて、傭兵の重要性は低くなったが、アジア、アフリカ、南アメリカ等の植民地化において、傭兵的性格の非正規軍(民兵)が利用された。英印軍のグルカ兵やシーク教徒たちもその類だが、19世紀にはスイスが国民の傭兵活動を禁じたことからカナダ出身者の傭兵が多く、クリミア戦争をはじめイタリア統一戦争、南北戦争、メキシコ内乱にも多数参加していたという記録もある。
[編集] 著名な傭兵
西ローマ帝国を滅亡させたオドアケル、ルネサンス期イタリアの傭兵隊長として、ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロやミラノのスフォルツァ家(フランチェスコ・スフォルツァ、ルドヴィーコ・スフォルツァ)、三十年戦争時のアルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインやアンブロジオ・スピノラなどが著名である。また、ギリシア人でありながらペルシア帝国の傭兵として活動したクセノポンもいる。
[編集] 傭兵の分類
厳密に分類することはできず、実際には、以下のいくつかの特徴を兼ねている場合が多い。
- ヴァイキング(ノルマン人)やゲルマン人のように移動してきた、あるいは周辺の異民族 - 戦闘には勇猛であるが、土地を欲しがり、時には雇用主がのっとられたり、略奪される場合がある。辺境に土地を与えて屯田兵のように定住させることも多い。
- イタリアの小領主のように本拠地を持つもの - 収入の補完として傭兵稼業を行う。統制は取れており、技術も高い。職業倫理もあり雇い主をあからさまに裏切ることは少ないが、政治的に裏取引を行ったり、手抜きをすることはある。またドイツの小領主のように、封建領主でありながら(つまり主君を持ちながら)複数の相手と参戦契約を結ぶ者もあった。
- 強盗騎士、山賊、野盗のたぐい - 領地の少ない(ほとんど無い)小貴族、騎士などをリーダーとした、あぶれ者(アウトロー)の集団。戦があるときは傭兵として雇われ、無くなると略奪、強盗などを行うため庶民の迷惑の元となった。
- 常備契約によるもの - 決まった相手に定常的に雇用される職業軍人。教皇庁・フランス王国に雇われたスイス傭兵など。常備軍の先駆ともいえるが、外国人であるがために疑いの目を向けられることも多く、立場は不安定であった。
- 自らの意志によらないもの - 三十年戦争時には傭兵軍の勢力維持のために、たびたび募兵が行われていたが、体格に恵まれた者は強制徴募されることも少なくなかった。また領主が領民を徴兵して「傭兵」として売り払うこともあった。
[編集] 他の軍制との比較
- 傭兵
- 戦場で裏切ったり怠戦するというイメージが強いが、職業として定常的に行っている者は信用も必要であり、競争原理も働くため、一般的に言われるほどではなく、支払われた金銭相応の働きをすることが多かった。特に中世から近世、常備軍の出現以前のヨーロッパにおいて、充分な経験を積み雇用主から契約通りの支払いを受けている傭兵集団こそ間違いなく最強の戦闘集団であった。例えば17世紀中盤には、3000名のアイルランド傭兵を率いたイングランド貴族がスコットランドに侵入して諸侯の軍勢相手に連戦連勝を重ね、ついにスコットランドを制圧したこともある。
- 専門の戦士であるため、戦の技術、装備は比較的充実しており勇敢に戦うが、誰でもなれるために手に負えないほど質の悪い傭兵隊も少なくなかった。
- また意志決定に民主的な手続き(合議制や多数決)を取り入れる傭兵団もあった。
- 雇用主が支払いの一部として略奪を認めていることもあったが、ときに自領内でも平然と行われる略奪は傭兵制と切り離せない大きな問題であり、やっかい払いに十字軍として中東や東ヨーロッパ、中世後期ではアメリカ大陸に送られてしまうこともあった。
- 徴兵軍
- 錬度、装備、士気の全てが低いことが多く、敗勢になるとすぐに崩れる。
- 市民軍
- 士気は高いが、平時は本来の職業にたずさわっているため錬度、技術はあまり高くないことが多い。
- 封建軍
- 錬度、装備は高い。領土を守る場合は懸命に戦うが、敵地で戦うときは封建契約で決まった期間しか戦わないし、農繁期の出兵は士気や収穫に響くため避けられることが多かった。しかし、主君のために命がけで戦うことも多い。
[編集] 現代の傭兵
20-21世紀の現代においても各地の戦争・紛争において傭兵は存在する。国際法において傭兵を禁止しているにも関わらず、特に民族・宗教紛争などでは傭兵の存在がちらつく。広義では、雇われて戦争に関する仕事を行うもの全てを傭兵と呼ぶこともあるが、ジュネーブ条約の傭兵の定義を要約すると、「主に金銭、利益を目的として雇用され、戦闘行為を行う第三国人、及びその集団」に限定される。 従って、狭義の傭兵では、主にアフリカで活躍した「個人・小グループの傭兵」のみがあてはまる。他の「傭兵に似たもの」としては以下のものが挙げられる。
- 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ技術者タイプ
- 元軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「民間軍事会社」(個人を指すときはプライベートオペレーターという)タイプ
- フランス軍・スペイン軍などにおける正規軍部隊のひとつとしての外人部隊
- バチカン市国におけるスイス人傭兵による警護隊。
このうち、正規軍として扱われる外人部隊についてはフランス外人部隊などを参照。バチカン市国の例は中世からの遺物である。現在、スイスの法律では傭兵となることを禁止しており、これは唯一の例外とされている。
[編集] 個人または小グループの傭兵
通常、著名な傭兵が雇い主と契約を交わし、その傭兵の元に以前からのグループやフリーランスの傭兵が集まるという形態を取る。彼らは金銭・利益のためだけではなく、自分の支持する方で戦うという点で、歴史的な傭兵とは違い、義勇兵的な側面を持つといえる。
[編集] 傭兵が加わった主な紛争
- コンゴ動乱(1960年 - 1965年)
- ビアフラ戦争(ナイジェリア内戦、1967年 - 1970年)
- アンゴラ(1975年 - 1979年)
- シエラレオネ(1967年 - 1968年)
- セーシェル(1978年 - 1982年)
- コモロ(継続的にクーデターが発生)
[編集] 著名な傭兵
- マイク・ホー(1920年 - ) - アイルランド人、イギリス軍人、南アフリカ在住。1960年代のコンゴ動乱で活躍。ビアフラ戦争、1978年のセーシェルのクーデタに参加。1983年反傭兵法違反で10年の刑を受ける。
- ロベール・デナール(1929年 - )、フランス人、フランス軍人としてインドシナ、モロッコで戦う。以降、傭兵としてジンバブエ、イエメン、イラン、ナイジェリア、ベニン、ガボン、アンゴラ、ザイール(現・コンゴ民主共和国)、コモロで戦う(主に共産勢力と戦い、フランス政府の暗黙の支持があったと考えられている)。1995年、コモロで逮捕された後、フランスへ送還され、10ヶ月服役する。
- サイモン・マン - イギリス人、イギリス軍人、SASに所属、南アフリカ在住。アンゴラとシエラレオネで傭兵企業エグゼクティブ・アウトカムズの元で戦う。傭兵企業サンドライン・インターナショナルを設立。パプアニューギニア政府に雇われブーゲンビル島の反乱を鎮圧する。2004年、ジンバブエで赤道ギニアのクーデタを計画した容疑で逮捕、7年の刑を受けた。マーク・サッチャー(マーガレット・サッチャーの息子)が資金援助に加わったとされる。
- ボブ・マッケンジー(1995年に死亡) - アメリカ人、アメリカ陸軍の軍人として、ベトナムで戦う。以後、傭兵として、ローデシア、エルサルバドル、ボスニア、ブーゲンビル島などで活躍。1995年、シエラレオネの反政府勢力の統一革命戦線(RUF)をダイヤモンド鉱山などから追い払うため、グルカ・セキュリティー・グループ(GSC)の司令官してグルカ兵を引き連れて、シエラレオネに到着するが、到着後すぐにRUF軍の待ち伏せ攻撃に会い、RUFのゲリラとの戦闘で死亡し、見せしめとしてRUFのゲリラに食べられる。
- ロルフ・シュタイナー(-)ドイツ人、第二次世界大戦時にはヒトラー・ユーゲントに参加。戦後、フランス外人部隊に加わりインドシナ戦争やアルジェリア戦争に参加。除隊後傭兵となる。フランス政府の紹介でビアフラ共和国に雇われる。シュタイナーは傭兵とビアフラ兵で「シュタイナー軍団」と呼ばれた第4奇襲旅団を編成。しかし、ビアフラの指導者オジェクとの仲が悪く追放された。フレデリック・フォーサイスの小説「戦争の犬たち」に同名の傭兵が登場。「戦争の犬たち」の傭兵のモデルとなっている。
傭兵企業と呼ばれた会社
- エグゼクティブ・アウトカムズ(1998年閉鎖)
- サンドライン・インターナショナル(2004年閉鎖)
- グルカ・セキュリティ・ガード
[編集] 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ技術者タイプ
冷戦時代に数多く見られたケースで、航空機や艦艇の製造国である先進国のパイロットや技術者が、発展途上国の空軍や海軍に派遣されて技術指導や訓練ばかりでなく、実戦にも参加するケースである。これは現在の兵器が極めて精密緻密なために高度な技術を保有しなければ運用・整備ができなくなっているためという事が大きい。
たとえば、リビア空軍やスーダン空軍、初期のエジプト空軍などでは旧ソビエト連邦から派遣されたパイロットが航空機を運用していた。また、第二次世界大戦以前のタイ海軍は外国人の海軍士官が多く存在しており、彼らが艦艇の運用とタイ人海軍兵士の訓練を担当していた。また、やはり第二次大戦中のアメリカが、日中戦争で中国支援の為の義勇部隊(空の賞金稼ぎ)「フライング・タイガース」を活動させていた。この他、中華人民共和国やフランス、北朝鮮などがパイロットや教官を発展途上国に多く派遣しているといわれる。ベトナム戦争中にCIAが関わった「エア・アメリカ」もこの一と言えよう。
この場合、契約は国家間もしくはそれにメーカーを加えたケースが多い。
しかし、先進諸国であっても、軍の合理化策として比較的機密事項の少ない輸送・訓練・支援(給油など)を民間企業(元軍人が経営する事が多い)に委託する事もあり、線引きは曖昧になりつつある。
[編集] 元軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「民間軍事会社」タイプ
このタイプの傭兵については民間軍事会社 (PMC) の項も参照。
純粋な営利目的として内戦やクーデターに関わるという事で、歴史的な意味での傭兵にもっとも近いといえる。ただし、特殊作戦や航空作戦を除いて直接実戦に参加する事は少なく、顧問・教官という形で間接的に実戦に参加する。「雇用主」は正規の政府が多く、時としては油田や鉱山などその国に利権を持つ大企業である場合もある。
こうした傭兵は元特殊部隊員などの軍人出身者が多く、組織化されて企業化されている事もある。イギリス、アメリカ、南アフリカ(現在は非合法化)などにこうした企業が存在する。一部の企業は戦車、装甲兵員輸送車、榴弾砲、攻撃ヘリコプターを独自に保有している事もある。
ただし、傭兵は非合法なので表向きは「民間警備支援サービス」などと称する場合がほとんどである。実際に、当初のうちは発展途上国や治安の悪化している国においてオフィス・工場・鉱山などの警備をしていたものを、発展途上国の政府が見込んで依頼したというケースが多い。
需要者としては発展途上国に多い。これらの国の政府軍は士気・装備に乏しく、兵士としての行動に期待が持てない。そうかといって、内戦などを抱える発展途上国においては冷戦時代の様に旧東西諸国から軍事支援が受け入れにくく、国家間での軍事支援においては国際的な非難を浴びるなど問題がある。また、正規軍兵士の身分においては関わる事が困難な任務も存在する。このため、政治的リスクが小さい傭兵を受け入れるという事になる。アフリカ諸国においては旧宗主国の思惑がからんでくる場合も多い。例えば、アンゴラ内戦においては、冷戦期に敵であった南アフリカ軍の元兵士達の傭兵企業が、1990年代に政府軍の支援を行ない、一定の成果を上げたといわれる。 また、イラク戦争においても正規軍以外に要人警護や特殊任務に参加している「民間人」が確認されている。これらもこうした傭兵の一つと考えられる。
[編集] 日本人が傭兵になった場合の法的問題
フランス外人部隊など国家機関が雇用する傭兵の場合、法的な擁護が保証されるが、企業や個人に雇われた傭兵の場合捕虜になった場合はジュネーブ条約の捕虜の規定が適用されず単なる犯罪者と解釈され、処刑される危険性は高い。この場合日本の在外機関の援助を求めることは困難である。