ヨハネス・クリュソストモス
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ヨハネス(ヨアンネス)・クリュソストモス(ギリシア語:Ιωάννης ο Χρυσόστομος [イオーアンネース・ホ・クリュソストモス]、349年または344年 - 407年9月14日、コマナ・ポンティカ)は4世紀のキリスト教の聖職者、神学者、説教者。金口(きんこう)イオアン、金口ヨハンネスとも呼ぶ。クリュソストモスとは、ギリシア語で「黄金の口」の意味である。説教の名手だったことから死後この名を得た。生前はアンティオキアのイオアンネースと呼ばれた。東方正教会、単性論教会、ローマ・カトリック教会などで聖人。カトリックでは、また教会博士とされる。
ネクタリオスの後を継いでコンスタンティノポリス総主教に就任した。皇帝と教義をめぐって対立し、流刑に処されたが、のち許されてコンスタンティノポリスに戻った。
その説教は、簡潔ななかに、自在に聖書を引用し、あるいは聖書の挿話や信者の生活に身近なものから材をとった喩を用い、対句や繰り返しなどの修辞を用いて、わかりやすく大胆に信仰の要諦を教える。その復活祭説教のひとつは、今日東方正教会において復活大祭の典礼の一部に取りいれられている。
またモーセ五書、ヨハネ福音書やパウロ書簡についての注釈などが残っている。
東方正教会では特に崇敬される。固有の祭りに加え、不朽体移動日、他の聖人との合同の祭りなどがある。また東方正教会に理論的にもっとも大きい影響を残した神学者のひとりであって、その注釈書や説教は現在でもたびたび引用される。
大バシレイオスの制定したとされる聖体礼儀(ミサ)の典礼文を簡略化して整備したことでも知られる。 ビザンチン典礼で通常用いられる「金口イオアンの聖体礼儀」は彼に帰せられるが、現在使われる形は彼より後の付加によって発展したものであると考えられている。「金口イオアンの聖体礼儀」に作曲した作曲家は多数あるが、チャイコフスキー、ラフマニノフによるものが音楽的には知られる。
日本正教会で通常用いられる曲はウクライナの作曲家ボルトニャンスキーによるものもあるが、部分的である。歌われる言語は各国地元の言語を主に使う為、現在も聖体礼儀など奉神礼に用いる曲は各地方教会が各々育てている状態であり続けている。
先代: ネクタリオス |
コンスタンティノポリス総主教 398–404 |
次代: タルソスのアルサキオス |