コンスタンティノポリ総主教庁
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コンスタンティノポリス総主教庁(ギリシャ語:Οικουμενικό Πατριαρχείο Κωνσταντινουπόλεως) は、16の自主管理の東方正教会所属教会のうちのひとつである。その所在地コンスタンティノポリス(ギリシア語名。英語ではコンスタンティノープル)は、現在のトルコ共和国最大の都市イスタンブルにあたり、総主教庁の施設はイスタンブル旧市街の金角湾に面したフェネル地区に建つ聖ゲオルギオス教会に置かれている。現在の総主教はバルトロメオス(1991年 -、公式サイトによれば第270代総主教)。初代は十二使徒の一人である聖アンデレとされている。
「コンスタンティノポリ総主教庁」は日本ハリストス正教会でロシア語に近い読み方をする場合の転写であり、一般にはコンスタンティノープル総主教庁あるいはコンスタンティノポリス総主教庁と呼ばれる。
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[編集] 概要
元来は、古代キリスト教の五大総主教座(ローマ、コンスタンティノポリス、アンティオケイア、エルサレム、アレクサンドリア)のひとつで、きわめて古い伝統をもつ。かつては東ローマ帝国の首都の教会として、また東方正教会の首長として、東ローマ皇帝に任命された総主教が東ローマ帝国領だった現在のトルコ・ギリシャからブルガリア・セルビア、さらにはロシアまでを管轄し、ローマ教皇とキリスト教会の首位の座を争うほどの地位を誇っていた。また、東ローマ皇帝が幼帝の時に総主教が摂政となった例も複数あり、聖俗に渡って影響力を持っていた。
当時の総主教座は聖ソフィア大聖堂(現在のアヤソフィア博物館)に置かれていた。
オスマン帝国統治の時代は、東方正教会に属するギリシャ人、セルビア人、ルーマニア人、ブルガリア人、ヴラフ人(アルーマニア人)、正教徒アルバニア人、正教徒アラブ人を管轄する行政区分(ミレット)の長となり、総主教の下の大主教や主教が、正教徒の行政・司法・教育を担当し、宗教税を徴収した。
現代では、各国の正教会が独立したために、主にトルコ国内のギリシャ系住民と、クレタ島、アトス山の各修道院および海外にいるギリシャ人正教徒を管轄するのみとなっているが、コンスタンティノポリ総主教は「世界総主教(エキュメニカル総主教)」(全地総主教)という称号を持ち(総主教庁のサイトによれば「コンスタンティノポリスの大主教、新しいローマとエキュメニカルの総主教」となっている。「新ローマ」はコンスタンティノポリスの創建時の正式名称)、東方正教会の各教会の中でも第1位の格式を持っている、ただし、歴史的経緯から各国の正教会はあくまでも対等であり、コンスタンティノポリス教会は席次の上でその筆頭であるに過ぎない。
[編集] 管轄区
現在のコンスタンティノポリ総主教庁は5つの大主教管区および20の府主教に分割される。
[編集] 大主教管区
- コンスタンティノポリスの大主教管区(総主教が大主教を兼務)
- クレタ島の大主教管区
- アメリカの大主教管区
- オーストラリアの大主教管区
- イギリスの大主教管区
[編集] 府主教
- カルケドンの府主教
- インブロス(Imbros)とテネドス(Tenedos)の府主教
- プリンスィズ諸島の府主教
- デルコス(Derkos)の府主教
- ロードスの府主教
- コスの府主教
- カルパソス(Karpathos)とカソス(Kasos)の府主教
- レロス(Leros)、カリムノス(Kalymnos)、アスツパライア(Astypalaia)の府主教
- フランスの府主教
- ドイツの府主教
- オーストリアの府主教
- ベルギーの府主教
- スカンジナビアの府主教
- ニュージーランドの府主教
- スイスの府主教
- イタリアの府主教
- カナダの府主教
- アルゼンチンの府主教
- 中央アメリカの府主教
- 香港の府主教
[編集] ローマ・カトリックにおける「コンスタンティノポリス総大司教」
ローマ・カトリックは、1204年の第四回十字軍でカトリック勢力がコンスタンティノポリスを占領してラテン帝国を建国した時に、亡命した正教会のコンスタンティノポリス総主教の代わりにカトリックの総大司教座を置いた。その後、1261年に東ローマ亡命政権のニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回して正教会の総主教座が復活し、カトリックの総大司教は追われたが、「コンスタンティノポリス総大司教」の職名だけは残り1964年まで名義上の存在ながら存続していた。
[編集] 著名な過去のコンスタンティノポリス総主教
- ナジアンゾスのグレゴリオス(神学者聖グレゴリイ)
- ヨハネス・クリュソストモス(聖金口イオアン)
- フォティオス(聖フォティ)
- ミカエル1世ケルラリオス