ルートヴィヒ3世 (バイエルン王)
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ルートヴィヒ3世(Ludwig III. Leopold Joseph Maria Aloys Alfred, 1845年1月7日 - 1921年10月18日)はバイエルン王国最後の国王。第一次世界大戦後のドイツ革命により退位した。
ルートヴィヒはミュンヘンでバイエルン王子ルイトポルト(ルートヴィヒ1世の三男)とトスカーナ大公女アウグスタの間に生まれた。1868年2月20日、彼はウィーンでモデナ公家(ハプスブルク家)のマリア・テレジアと結婚した。マリア・テレジアは叔父モデナ公フランチェスコ5世の死によって、1875年にジャコバイトが支持するところのイギリス王位を得ていたため、まれにイングランド女王メアリー3世などと呼称される場合もある。
一方、ルートヴィヒの方は父の死により、1912年にバイエルン王国の摂政の地位についている。当時の国王オットー1世はその兄ルートヴィヒ2世と同様に精神を病んでいたとされている。翌年改正された憲法の規定にのっとり、ルートヴィヒはオットーを廃位し、議会の承認を得て自身がバイエルン王国の国王の座についた。
第一次世界大戦でのドイツの敗戦による混乱の中で、ルートヴィヒは家族とともにミュンヘンを逃げ出し、11月13日にクルト・アイスナーが起草した退位宣言書に署名した。1919年にアイスナーが暗殺されると、混乱を嫌ったルートヴィヒはリヒテンシュタインへ、さらにはハンガリーへと向かい、その地で亡くなった。
[編集] 子女
王妃マリア・テレジアとの間には、第一次世界大戦においてドイツ軍の指揮官をつとめた王太子ループレヒトを含め、13人の子供が生まれた。
- ループレヒト(1869-1955)
- アデルグンデ(1870-1958) − ホーエンツォレルン侯ヴィルヘルム・アウグスト・カール夫人
- マリー・ルドヴィガ・テレーゼ(1872-1954) − カラブリア公フェルディナント・ピオ・マリア妃
- カール・マリア・ルイトポルト(1874-1927)
- フランツ・マリア・ルイトポルト(1875-1957)
- マチルデ・マリア・テレーゼ(1877-1906) − ザクセン=コーブルク=ゴータ公子ルートヴィヒ妃
- ヴォルフガング(1879-1895)
- ヒルデガルト・マリア・クリスティアーネ(1881-1948)
- ノートブルガ(1883)
- ヴィルトルート・マリア(1884-1975) − ウラッハ公ヴィルヘルム2世カール・フロレスタン妃
- ヘルムトルート・マリア・アマーリエ(1886-1977)
- ディートリンデ・マリー・ヨーゼファ(1888)
- グンデリンデ・マリア・ヨーゼファ(1891-1983) − ヨーハン・ゲオルク夫人
[編集] こぼれ話
第一次世界大戦が勃発した際、後のナチス・ドイツの総統アドルフ・ヒトラーはミュンヘンに滞在していた。ヒトラーはドイツ軍への入隊を希望していたが、オーストリア国籍であった為に入隊が出来なかった。そこで、ヒトラーはルートヴィヒ3世にごり押しで直訴したのである。ルートヴィヒはこれを承諾し、ヒトラーにバイエルン後備第16歩兵連隊に出頭する様命令したのである。後世ヒトラーは、これを偉大なる道への第一歩だと記している。
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