レイモンド・スプルーアンス
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レイモンド・エイムズ・スプルーアンス(Raymond Ames Spruance, 1886年7月3日 - 1969年12月13日) はアメリカ海軍の軍人、最終階級は大将。メリーランド州ボルチモア生まれ。
太平洋戦争開戦時は少将で第5巡洋艦戦隊司令官。1942年6月のミッドウェー海戦では、病気で入院したウィリアム・ハルゼー中将に代わって空母2隻を主力とする第16任務部隊を指揮し、フランク・フレッチャー少将の第17任務部隊とともに日本海軍を破り、戦争の流れを変えるのに大きく貢献した。
同海戦からハワイに戻ると太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将の参謀長となる。その後、1943年に中部太平洋艦隊司令官としてギルバート諸島とマーシャル諸島(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)の攻略戦を指揮し、1944年からは第5艦隊司令長官としてマリアナ諸島(マリアナ沖海戦)、硫黄島(硫黄島の戦い)、沖縄(沖縄戦)の各攻略戦を支援し、マリアナ沖海戦では堅実な戦略で攻略支援に徹しつつ、小沢治三郎中将が指揮する日本海軍の機動部隊も打ち破った。
戦後はニミッツ大将に代わって太平洋艦隊司令長官に就任する。1946年から海軍大学校長を務め、1948年に退役した後、ハリー・S・トルーマンの指名を受けて1952年に駐フィリピン大使に就任し、1955年まで務めた。
スプルーアンスは1969年にカリフォルニアで死去し、ゴールデン・ゲート国立墓地に葬られた。スプルーアンス級駆逐艦の1番艦は彼にちなんで命名された。