ロバート・バード
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ロバート・カーライル・バード(Robert Carlyle Byrd,1917年11月20日 - )は、アメリカの政治家。ウェストヴァージニア州下院議員(1947年-1951年)、ウェストヴァージニア州上院議員(1951年 - 1953年)を経て連邦下院議員(1953年 - 1959年)、連邦上院議員(ウェストヴァージニア州選出、1959年 - )。所属政党は民主党。上院では上院民主党協議会議長(1967年 - 1971年)、民主党上院院内幹事(1971年 - 1977年)、上院多数党院内総務(1977年 - 1981年,1987年 - 1989年)、上院少数党院内総務(1981 - 1987)、上院仮議長(1989年 - 1995年,2001年 - 2003年)、上院歳出委員長(2001年 - 2003年)を歴任。現在上院で最も高齢かつ最古参の議員。上院、下院をあわせた連邦議会議員としては最長の在任期間を誇る。
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[編集] 生い立ち
ロバート・バードはノースカロライナ州ウィルケスボローで生まれたが、当初の名前はコーネリアス・カルヴィン・セール Jr.といった。彼の父はクー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーであった。1歳のとき、母が当時流行したスペイン風邪で死去し、父親は一家の子供たちを親戚の家へ養子に出した。コーネリアスはおば、おじに当たるバード夫妻に引き取られ、ロバート・バードと改名された。以後ロバートはバード夫妻の住むウェストヴァージニア州南西部で育った。彼の育ての親の家庭も、当時の典型的な南部の政治に対する見解に支配されており、これがバードの少年期に大きな影響を与えた。彼は高校を卒業し、現在の夫人と結婚している。バード自身は大学への進学を望んだが、当時その余裕はなく、バードが大学へ通ったのは高校を卒業してから12年たってからであった。
バードが24歳のとき、すなわち1941年に彼はクー・クラックス・クラン(KKK)に加入した。その後第二次世界大戦中を通じて彼はメンバーだった。後にバードはこれは若さゆえの過ちであり、また自分の人生で最大の間違いだったと回想している。しかし、KKKのメンバーであったことは後にいたるまで彼への批判に利用されている。一方で公職に就いてもしばらくはKKKに同情的であったことは確かである。1958年の上院議員選挙の際、彼はKKKを擁護し、KKKは誤って南部における暴力の元凶とされていると述べた。
[編集] 初期の経歴
バードは、地方議会から叩き上げた議員である。1946年にウェストヴァージニア州下院議員選挙に立候補し、当選を果たす。以後彼はウェストヴァージニアでのすべての選挙で勝利を収めている。州下院議員時代の1948年、バードは当時のトルーマン大統領から離反した民主党員の一群に加わり、州権民主党のメンバーとなってその年の大統領選挙では同党の候補、ストロム・サーモンドサウスカロライナ州知事を支持した。1950年にはウェストヴァージニア州上院議員に転身し、1952年には連邦下院議員に初当選した。以後3回連続当選を果たしたが、1958年には4選を目指さず、上院議員選挙に立候補した。
[編集] 上院議員
バードは1958年の上院議員選挙で勝利を収め、1959年から現在に至るまで上院議員を務めている。仮に2006年に9選を果たし、2013年までの任期を全うするとすると、在任期間は54年に及ぶことになり、ストロム・サーモンド前上院議員の持つ記録を塗り替える。彼は、典型的な南部選出の民主党議員としてスタートした。すなわち、人種隔離政策の継続を訴え、人種融合政策やアフリカ系アメリカ人への公民権付与に反対した。1964年にはエヴァレット・ダークセン共和党上院院内総務の提出した1964年の公民権法に反対し、14時間にわたる議事妨害を行った。またリンドン・ジョンソン民主党上院院内総務(後に大統領)の盟友であり、1960年のウェストヴァージニア州民主党大統領予備選では彼を支持した。
1965年にはロバート・C・バード奨学金を設立した。これはアメリカ合衆国政府のプログラムであり、貧しいが優秀な学生に大学への進学の道を開くものである。彼自身も1963年にやっとアメリカン大学のロー・スクールを修了したばかりだった。
マイク・マンスフィールド上院議員のあとを継ぎ、1977年から1989年にかけて、バードは上院民主党のリーダーであった。1976年の大統領選挙では、立候補を表明していないにもかかわらず、地元ウェストヴァージニア州の民主党予備選で圧倒的な勝利を収めた。
バードの地元ウェストヴァージニア州は、全米でも1,2を争う貧しい州である。上院歳出委員会で活躍した彼は、自らの権限でウェストヴァージニア州に高速道路やダム、教育施設などの公共事業をもちこんだ。これはアメリカにおける利益誘導政治の典型として党派を問わず批判されている。この結果ウェストヴァージニア州にはロバート・C・バードと名のつく公共施設が多数存在する。
バードは現在でも人種差別主義者であると一部の公民権活動家からは看做されている。また共和党も彼の投票行動が人種差別的な傾向を持つと批判することがある。例えば、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が最高裁判所判事に指名したアフリカ系のクラレンス・トーマス判事やコンドリーザ・ライス国務長官の承認に反対したことがその例に挙げられる。公民権運動を推進する圧力団体、COREはこうした投票行動は人種差別主義に基づいていると指摘している。一方でバードはイラク戦争やブッシュ大統領の社会保障改革プログラムに反対するなど、多くの問題で民主党のリベラル派と同じ見解を持っている。また彼は他の13人の上院議員(多くは共和党穏健派と民主党中道派)と共に、ジョージ・W・ブッシュ大統領が指名する最高裁判所判事の承認に対し議事妨害を行うとした民主党の強硬な姿勢と、共和党指導部の単純多数で議事妨害を終わらせるニュークリア・オプションをとるとの強硬姿勢を調停した。
[編集] 外部リンク
- Biographical Directory of the United States Congress - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト[1]内の、バードの項目(英語)
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