ヴァンサン・ダンディ
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ポール・マリ・テオドール・ヴァンサン・ダンディ(Paul Marie Théodore Vincent d'Indy, 1851年5月27日パリ – 1931年12月2日パリ)はフランスの作曲家・音楽教師。フランスの古い貴族の家系に属する。
幼い頃からピアノを学ぶが、一族を喜ばせるために法学を学ぶ。しかしながら、音楽家になることを決心しており、セザール・フランクの献身的な門人となった。1894年に、シャルル・ボルドやアレクサンドル・ギルマンに協力して、パリにスコラ・カントルムを創設し、没するまで同校ならびにパリ音楽院で音楽を指導した。門下に、サティ、ルーセル、アルベリク・マニャール、(後にダンディの評伝を書いた)ジョゼフ・カントルーブ、ボフスラフ・マルティヌーがいる。「作曲学教程 Cours de composition musicale」(1903年)の執筆に参加したほか、フランクやベートーヴェンに関する研究書を書いた。
ダンディの作品は、今日さほど一定して演奏されていない。最も有名な作品はおそらく「フランスの山人の歌による交響曲 Symphonie sur un chant montagnard français」ことピアノと管弦楽のための「セヴェンヌ交響曲 Symphonie Cévenole」(1886年)や、交響的変奏曲「イスタールIstar」(1896年)であろう。その他に、管弦楽曲や室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、たくさんのオペラ(たとえば、1897年の「フェルヴァール Fervaal」など)がある。ダンディの作品は、フランクと並んでワーグナーからの影響を見せている(ダンディは1876年にバイロイト祝祭劇場において、「ニーベルングの指環Der Ring des Nibelungen」の初演に出席している。)
ダンディは、当時はほとんど忘れ去られていた古楽の復権に尽力し、一例をあげると、モンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠 L'Incoronazione di Poppea」などの独自の校訂版を作成した。
第一次世界大戦前に、長く連れ添った愛妻と死に別れてから、一時的に創作意欲が減退したものの、戦後に子供たちの反対を押し切って再婚してからは創作意欲を新たにした。セヴェンヌの城館を離れて、コート・ダジュールのアゲーに新妻とともに居を移し、作曲に専念した。その時期の作品には、「海岸の4つの詩」、「地中海2部作」、ピアノと室内アンサンブルのための協奏曲や、弦楽四重奏曲第3番などがある。「海岸の4つの詩」の第2楽章「深い青の喜び」の導入部は、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」の第2部の導入と酷似している。ラヴェルのほうは1912年、ダンディのほうが1919年から1921年に完成されていることを考えると、ダンディがなぜラヴェルを借用したのか、あるいはこの間の事情がどういうことであったのか、非常に興味深いものがある。
目次 |
[編集] 作品一覧
[編集] 管弦楽曲
- 交響的バラード『魔法にかけられた森』op.8
- 交響詩『ヴァレンシュタイン』op.12
- 交響的伝説『サルビアの花』op.21
- 交響的変奏曲『イスタール』op.42
- フランスの山人の歌による交響曲(交響曲第1番)
- 交響曲第2番変ロ長調op.57
- 交響詩『山の夏の日』op.60
- 交響曲第3番ニ長調『麗しきフランスの小交響曲』
[編集] 室内楽曲
- クラリネット・チェロ・ピアノのための三重奏曲
[編集] 論文
- Andrew Thomson, Vincent d'Indy and his World (Oxford University Press, 1996)
[編集] 外部リンク
- IMSLP - International Music Score Library Project のヴァンサン・ダンディ・ページ。