中央防波堤外側埋立地
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中央防波堤外側埋立地(ちゅうおうぼうはていそとがわうめたてち)は、1977年(昭和52年)に中央防波堤外側の海域で埋立が開始された埋立地である。
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[編集] 歴史
- 1977年(昭和52年) 中央防波堤外側埋立地の埋め立てに着手。この頃増加する一方のごみの量に対して埋立処分場の確保の難しさが、かなり認識されるようになり、処分場の延命化が都の重要課題となり、清掃工場・粗大ごみ破砕処理施設の新設など、中間処理施設の整備が急速に進められた。
- 1998年(平成10年) この頃中央防波堤外側埋立地も埋立ができる場所が少なくなってきたため、新海面処分場Aブロックの埋立が開始された。
[編集] 埋立面積
上空から見て、西側が「その1」、東側が「その2」である。
[編集] 開発
外側埋立地その1は、第二航路トンネルにより、中央防波堤内側埋立地を介して青海(江東区)、臨海トンネルにより城南島(大田区)と結ばれている。この道路は将来、その2から若洲方面へ東京港臨海大橋(仮称)を介して延伸され、東京港臨海道路・第二湾岸道路となる予定である。
しかしながら、内側埋立地を含めて、この海上埋立地の所属は未定であり、これが開発を遅らせている大きな要因である(郵便は江東区青海二丁目先で届く)。現在は道路で結ばれている江東区と大田区が所属を主張している。これは、港区がかつて厄介者扱いされていたお台場の開発に成功し、多額の税収を得ていることが影響している。道路完成以前は、港区と品川区、江戸川区も所属を主張していた。