中村健治
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中村 健治 なかむら けんじ |
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プロフィール | |
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本名: | 同じ |
出生地: | ![]() |
生年月日: | 1949年 |
没年月日: | 1992年月日 |
活動 | |
活動時期: | 1972年- 1992年 |
代表作: | 大阪市営地下鉄・ニュートラム車内放送ナレーション(初代) 大阪市交通局列車接近放送(四つ橋線、千日前線、堺筋線)他 西武鉄道列車接近放送(1992年~2006年) |
中村 健治(なかむら けんじ、1949年 - 1992年)は、男性声優、ナレーター。 大阪テレビタレントビューローに所属していた。妻は、ラジオDJで声優事務所「声だんご」社長の壇上英子(本名:中村英子)。
目次 |
[編集] 人物・生涯
[編集] 地下鉄のナレーションで有名
関西では、おなじみのナレーション声優の草分けとして、テレビCMとラジオCMのナレーションで有名だった。中でも、大阪市交通局の初代車内放送のナレーション、駅構内放送のナレーションで出演し、多くの鉄道ファンに親しまれた。顔がジャニーズのアイドル系であり富山敬にも似ており根岸雄一と大森章督の様な美声の持ち主だった。髪型が山田康雄にやや似ていた。
[編集] 病死・今でも残る美声
1992年に病気の為、逝去。享年42。亡くなる2ヶ月前、大阪市営地下鉄の車内放送のナレーションの収録が最後の仕事となった。
現在でも、大阪市営地下鉄の四つ橋線、千日前線、堺筋線の駅構内の列車接近等のアナウンスと六甲ライナーの車内放送を聞くことが出来る。その為か、現在もご健在、引退と思い込む鉄道ファンも多い。
[編集] 死後12年後にテレビで紹介
2004年10月に「おはよう朝日です」(朝日放送)の「あんたどーなた」のコーナーで、地下鉄御堂筋線の駅構内アナウンスをしている声優さんは誰かと言う視聴者からの質問で、取り上げられ、レポーターのたむらけんじが妻の壇上とお話をし、壇上から既に亡くなっていた事を聞き、たむら自身もショックを受けていた。そのコーナーを見ていた鉄道ファンに取っても引退していたと思い込んでいた人達もいていただけにショックがあったに違いない。(余談だが、壇上本人は、今でも亡くなった事を思い出すと悲しみの余り泣いてしまうので、普段は中村本人の件については、封印をし、沈黙を貫いている。その為、中村本人の件で仮に鉄道ファンからの質問があっても一切応じない様だ。)
2006年に地下鉄千日前線の駅構内アナウンスがデジタルリミックス化され、美声がよりきれいに聞く事が出来る。
余談だが、四つ橋線の駅構内の西梅田方面の接近放送のアナウンスでは、声が低音で口調が同じ声質の大森章督に似ていた為、「四つ橋線の駅構内の西梅田方面の接近放送の声は大森章督では?」と大森自身が勘違いされる事もある[1]。
[編集] 駅構内放送にまつわる話
また、堺筋線の駅構内アナウンスの準急茨木市行き(過去に快速急行京都河原町行き)(動物園前~天神橋筋六丁目の2番線)の案内が流れる時は、「準急」「上新庄・南茨木でございます。」(過去に「快速急行」)のフレーズのみ津田英治がアナウンスしているため、共演が実現している(これは、2001年の阪急京都線系統のダイヤ改正による種別大幅見直しに伴い、改正前の河原町行き「堺筋急行」が、同一の停車駅を引き継いだ「快速急行」として運転されることになったため、その部分のみアナウンスを差し替える必要が生じたことによる。また、2007年のダイヤ改正で準急として運転される事になった為、「準急」・「上新庄・南茨木でございます」の部分のアナウンスを差し替える必要が生じたことによる)。 ほかに、西武鉄道が運行管理システム「セムトラック」の導入に伴い自動放送装置を1992年に更新 した際に、池袋、新宿線区の下り線のアナウンス音声を担当した(新宿線については所沢2番ホームのみ上りを担当)。これが、自身の遺作でもある。このため、1993年の特急7両編成登場の際は他の声の似ている声優が代行し、その後野上駅までだった秩父鉄道直通が寄居駅まで延長された際、2003年の黄色い線へ変更の際も他の声優が担当した。しかし2005年に池袋線区はセムトラックの更新に伴い同線ではホーム自動放送も一新した関係で、関根正明に交代、新宿線区も2006年に同様になった。
[編集] 主な出演作品
[編集] CM
他多数
[編集] ラジオ
- 「音楽招待席」(ABCラジオ、隔週出演)
他多数
[編集] テレビ
- 「三枝のスポーツマガジン」(毎日放送)ナレーション
他多数