中迫剛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中迫強 | |
---|---|
基本情報 | |
本名 | 中迫剛 |
あだ名 | 貴公子、サコ |
階級 | ヘビー級(K-1) |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1974年1月29日 |
出身地 | ![]() 大阪府豊中市 |
現居住地 | ![]() |
スタイル | 正道会館空手 |
戦績 | |
総試合数 | 39 |
総勝利数 | 16 |
KO勝ち | 6 |
一本勝ち | |
判定勝ち | |
総敗北数 | 22 |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | 1 |
無効試合 |
中迫 剛(なかさこ つよし、1974年1月29日 - )は、大阪府豊中市出身のキックボクサー。K-1を中心に活動する。身長190cm、体重100.6kg。血液型A型。ZEBRA244所属。
2005年に中迫 強とリングネームを改名した。
目次 |
[編集] 来歴
K-1ヘビー級日本人ファイターの中で高い知名度を持つ。長身でスタイリッシュなファイトスタイルが特徴で、JAPANの貴公子、魔界のプリンスのニックネームを持つ。表向きはクールに振る舞っていることが多いが、実は熱い大和魂を持つ熱血漢ファイターである。
「JAPAN」のメンバーの中で、WORLD GPの歴代王者と対戦した人数が最も多い。武蔵に次ぐJAPANのエースとして期待されているが、なかなか結果が出せないでいる。試合中も、淡々と攻めることが多い。彼に足りないのは、技術的なところもそうだが、何よりもまず気迫である。失神KO負けがほとんど無く、いつも悔しげな表情で仰向けに倒れこみ、必ず起き上がるダウンなので、中迫がダウンする試合は盛り上がる。
1998年にK-1デビューを果たし、同年のJAPANグランプリでいきなりの準優勝。佐竹雅昭、武蔵に次ぐJAPANのエースと期待される。しかし、世界の厚い壁にことごとく阻まれ、K-1のリングの厳しさを思い知らされる日々が続いた。
2002年初め、JAPANシリーズは低迷状態にあり、テレビでの放送が打ち切り寸前にまで追い込まれていた。そんな中、中迫剛は2001年WORLD GP王者のマーク・ハントと対戦。そこで、右ハイキックでハントから生涯初のダウンを奪う。それだけに止まらず、中迫は左ハイキックでハントをKO寸前にまで追いつめる。しかし、追いつめられたハントは底力を発揮。結局、中迫はハントに3回ダウンを奪われ、KO負けとなる。敗れはしたものの、かつてジェロム・レ・バンナやレイ・セフォーがダウンさせることが出来なかったハントを中迫は、たった一発のハイキックでやってのけたのである。この結果により、まだJAPAN勢は死んでいないと評価され、この時点でJAPANシリーズが打ち切られることはなかった。これだけでなく2002年の中迫は、ボブ・サップとの試合で、サップの反則ファイトに真っ向立ち向かい殴り合ったり(この試合は中迫の反則勝ち)、JAPAN GPで好調に勝ち進み、決勝戦で武蔵と最後の最後まで互角に渡り合うなどし、株が上がった。
だが、その後2003年からまたもや低迷期に入る。2004年は、武蔵不在のJAPANグランプリで優勝候補と称されるも、全く良いところなく初戦敗退するなど、かつての栄光の面影すらない散々な結果であった。そして、2005年に、K-1JAPAN GP(WORLD GPシリーズの一大会。K-1 JAPANシリーズは2004年で打ち切られた)で一回戦で後輩に当たる堀啓と対戦。2001年の子安慎悟戦で見せたような気迫で真っ向勝負を挑んだが、前半に積極的に攻め込まれる場面が多かったため結局判定負け。また、同年12月には「R.I.S.E.」と言う立ち技格闘技大会に出場し、若いファイターである百瀬竜徳と対戦したがドロー。いよいよ新世代の波に押されつつある。
2006年6月に行われたK-1ソウル大会のASIA GPで、中迫はガオグライ・ゲーンノラシンと準々決勝で対戦し、ダウンを奪い判定勝利。3度目の対戦でようやくリベンジを果たし、復調の兆しを見せた。しかし、準決勝では、足の負傷もあってか、藤本祐介に判定負けを喫した。
さらに、同年7月に開催された「K-1 REVENGE 2006」でワンマッチで出場し、ビヨン・ブレギーと対戦したが、ブレギーの圧倒的なパワーの前に、ほとんど何もできずに1ラウンドでKO負けしてしまった。
2007年3月4日、「K-1 WORLD GP 2007 in YOKOHAMA」で新鋭ザビット・サメドフと対戦するも判定負け。膝に水が溜まり満足に練習出来ない日々が続いたと試合後にコメントし、未だ低迷状態であることを伺わせた。
[編集] 得意技
日本人離れした長い手足を活かした空手ベースの打撃を得意とする。
- PTS(パワー・トルネード・サコ)・・・マイク・ベルナルド戦前に生み出した必殺技らしい。披露する前にマットに沈められてしまったため、未だ謎のベールに包まれている。
[編集] 人物
- メンタル面での弱さが長年の課題。試合前インタビューでは、闘志を見せる言動を必ずしている(「『世界に一つだけの花』は、僕らの世界では綺麗事。一番にならなければ意味が無い」、「鬼になる、ヒールになる」など)が、その言動と試合内容との乖離が目立ちがちである。
- ヒップホップ好きで、ファッションも典型的なB-BOYファッション(大きなサイズの衣服を着こなしている)である。
- 映画や漫画への造詣も深く、そのために戦っているようなものだと豪語している。
[編集] 戦績
39戦/16勝/22敗/1分/6KO
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 JAPAN GP 1998 準優勝
- K-1 JAPAN GP 1999 第3位
- K-1 JAPAN GP 2001 第3位
- K-1 JAPAN GP 2002 準優勝
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本のキックボクサー | 1974年生 | 格闘技関連のスタブ項目