ボブ・サップ
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ボブ・サップ | |
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基本情報 | |
本名 | ロバート・マルコム・サップ・ジュニア |
あだ名 | ザ・ビースト |
階級 | ヘビー級(CRC) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1974年9月22日 |
出身地 | アメリカ合衆国 コロラド州コロラドスプリングス |
現居住地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | |
戦績 | |
総試合数 | 26(K-1/16試合、MMA/9試合、複合/1試合) |
総勝利数 | 17(K-1/10勝、MMA/7勝) |
KO勝ち | 9(K-1/6、MMA/3) |
一本勝ち | 2 |
判定勝ち | |
総敗北数 | 8(K-1/6敗、MMA/2敗) |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | 1(複合) |
無効試合 |
ボブ・サップ(Robert S. "Bob" Sapp、1974年9月22日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス市出身の総合格闘家である。公称身長200cm、体重160kg、リーチ213cm。血液型AB型。乙女座。
ニックネームは「ザ・ビースト」。入場曲は「ツァラトゥストラはかく語りき」。
目次 |
[編集] 経歴
ワシントン州シアトルにあるワシントン大学で、社会学と薬学を専攻するとともに、アメリカンフットボール部でも活躍。大学には奨学金で入学するほど成績が良く、3年間で特進卒業した。子供の頃から学校の成績はいつもトップクラスだったらしい。
1997年、NFLのシカゴ・ベアーズにドラフト3巡(全体69位)指名で入団するも、度重なる故障に見舞われ、翌シーズンにミネソタ・バイキングズに移籍。さらにボルチモア・レイブンズへ移籍するも両足のアキレス腱を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、2000年に現役続行を断念。代わってアメリカのプロレス団体であるWCWに転向・参戦したが、WCWが倒産したため数試合の出場のみにとどまった。
その後、病院からの遺体搬出のアルバイトをしていたが、同じく元WCWの選手でかつてK-1に参戦していた友人のサム・グレコの紹介でK-1にスカウトされ、2002年、格闘家としてPRIDE・K-1に参戦。試合の際は極めて鋭い表情であり、フットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、ゴリラを彷彿とさせることから「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。
一方、私生活では知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、そのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組やテレビCMに多く出演することとなった。2004年には映画『IZO』、『デビルマン』に出演した。また、漫画「バビブベボブボブ!!さっぷくん」(重岡秀満)がコロコロコミックに連載され、漫画界デビューも果たした。
K-1の試合中に打撃を受けた際、プロの選手であるにもかかわらず、痛みを露骨に表したことが、逆に人間らしいと評され、親しみやすいキャラクターである所以ともいわれる。
ミルコ・クロコップ戦までは痛みに精神力で耐え、相手を力で押し切る底力がサップにはあった。しかしミルコにKOされ眼窩底骨折させられた後のサップは打撃の怖さを知ってしまい、踏ん張り時に露骨に心が折れるようになった。「ミルコ戦で野獣サップは死んだ」という意見は格闘技ファンの間でも言われる様になり、2004年5月の藤田和之戦(K-1 ROMANEX)で惨敗を喫したように数年間、汚名返上するようなファイトを見せることができなかった。しかし2005年5月から一念発起し、サム・グレコの下で修行し、心身ともに強くなり6月のK-1広島大会で優勝。力任せのスタイルからも脱却し、キム・ミンス、アラン・カラエフからも勝利を収めている。
しかし2006年5月、アーネスト・ホースト引退予定試合を突如ボイコット、日本でリングに復帰する目処は立っていない。サンデー毎日2006年12月31日号によれば、現在は映画に出演すると共に、獣医を目指して勉強中という。
[編集] 主な戦歴
- 2002年4月28日、「PRIDE.20」(横浜アリーナ)で日本デビュー、山本憲尚(現 山本宜久)を1R2分44秒で下す。
- 2002年6月2日、「K-1 SURVIVAL 2002」(富山市総合体育館)で中迫剛と対戦、1R1分30秒で反則負け。乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。
- 2002年6月23日、「PRIDE.21」(さいたまスーパーアリーナ)で田村潔司と対戦、1R11秒KO勝利。
- 2002年8月28日、「Dynamite!」(国立霞ヶ丘陸上競技場)にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに2ラウンド57秒で1本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュホールドである三角絞めを、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。
- 2002年10月5日、「K-1 WORLD GP 2002 開幕戦」(さいたまスーパーアリーナ)にてアーネスト・ホーストと対戦、1R終了時にTKO勝ち。K-1を3度制したホーストに勝利したことで知名度は急上昇する。
- 2002年12月7日、「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」(東京ドーム)にてアーネスト・ホーストと対戦、2R2分57秒でKO勝ちも、右の拳を骨折して準決勝を棄権する。
- 2003年3月30日、「K-1 WORLD GP 2003 in さいたま」(さいたまスーパーアリーナ)においてミルコ・クロコップに1分26秒でKO負けを喫する。試合後、右眼窩底骨折が判明。
- 2003年8月15日、「K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス」(ベラージオ・ホテル)でキモと対戦、2R1分11秒KO勝ち。試合終了後、マイク・タイソンと接触。
- 2003年10月11日、「K-1 WORLD GP 2003 開幕戦」(大阪ドーム)にてレミー・ボンヤスキーと対戦、2R1分20秒で反則負けを喫する。
- 2003年12月31日、「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)にて曙太郎と対戦、1R2分58秒でKO勝ち。そのシーンは視聴率で紅白歌合戦をはじめて上回り、大きな話題となった。
- 2004年3月28日、新日本プロレス(両国国技館)にて佐々木健介と対戦、8分24秒体固めで勝利し、第37代IWGPヘビー級王座につく。その直後、「K-1が最強だ」と発言し、K-1とプロレスの対立関係を築く。
- 2004年5月3日、新日本プロレス(東京ドーム)にて中邑真輔と対戦、12分31秒体固めで勝利し、IWGPヘビー級王座の初防衛に成功する。
- 2004年5月22日、「K-1 ROMANEX」(さいたまスーパーアリーナ)において藤田和之に1R2分15秒でKO負けを喫する。敗戦のショックは大きく、対戦後自らの保持していたIWGPヘビー級王座を返上する。
- 2004年12月31日、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」(大阪ドーム)においてジェロム・レ・バンナと、K-1,MMAミックスルールで対戦し、時間切れ引き分け。
- 2005年3月26日、「HERO'S」(さいたまスーパーアリーナ)において、キム・ミンスと対戦。1R1分12秒でKO勝ち。
- 2005年6月14日、「K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA」(広島県立総合体育館)において、JAPAN GP トーナメントに出場し、中尾芳広、堀啓、富平辰文を破り優勝。
- 2005年7月6日、「HERO'S」(国立代々木第一体育館)において、アラン・カラエフに1R3分44秒でKO勝ち。
- 2005年8月4日、「Wrestle-1 GP 2005 開幕戦」(両国国技館)においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。
- 2005年9月23日、「K-1 WORLD GP 2005 開幕戦」(大阪ドーム)においてチェ・ホンマンと3R戦い、判定負け。
- 2005年10月2日、「Wrestle-1 GP 2005 2回戦」(国立代々木競技場第一体育館)において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。
- 2005年11月5日、「HERO'S 2005 in SEOUL」(オリンピック第一体育館)においてキム・ジョンワンに、1R8秒でKO勝ち。
- 2005年12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」(大阪ドーム)で武蔵と対戦、3R判定負け。
- 2006年5月13日、アーネスト・ホーストと対戦する予定だったが、試合直前になってボイコット。FEG側の説明では「試合前に無理難題を吹っかけられ拒否したら突然『やらない』と言い出した」としていて、その無理難題の内容は「契約上明かすことは出来ない」として説明を避けた。その内容はこの試合をしたら契約を解除してほしいという内容であったことが判明。契約上問題があると法的措置も検討していて、K-1永久追放の可能性も示唆している。さらに、世界中の格闘技団体から問題選手のレッテルを貼られ[要出典]、格闘技界から永久追放される可能性が高い。この時谷川の口から4月23日プロレスリング・ノア日本武道館興行のオファーを蹴っていることが明かされた。本人はハッスルに参戦したいと語っていた。
- 2006年6月27日、K-1オランダ戦ボイコットの件に関しての声明を発表、当時の詳細を語る。「ボブ・サップ声明文 K-1欧州GPの真相について」
- 2006年6月29日、K-1サイドから反論の声明「谷川氏、サップ声明文を否定。『事実に反する』」
- 2006年7月3日、ボブ・サップ代理人からの指摘「ボブ・サップ代理人、谷川氏の反論について重大な事実誤認を指摘」
- 2006年10月15日、WWEのトライアウトを受けている。選考結果や本人に入団の意思があるのかは不明。
- 2007年4月21日、Cage Rage 21に出場予定。
[編集] 得意技
[編集] TIPS
- 出生年には1973年生まれ説と1974年生まれ説があるが、これはサップの両親が離婚して、両親の出生届けが父(1973年)母(1974年)となった為である。
- 身長に関しては諸説あるが、PRIDE初参戦時は205cmと紹介されていた。後にK-1にも出場、そのときは200cmに訂正された。大学フットボール時代ならびにNFL時代は6フィート4インチであり、193cmくらいが最も信憑性が高いようである。体重も150kg前後とみられる。
- 格闘家として活躍時の体脂肪率は11~13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度のプロテインパウダーを摂取しトレーニングに励んでいた。
- 家族構成は警察官の父親、専業主婦の母、兄、妹、2人の弟がいる。
- 昔はバーの用心棒をしていた。
- 利き手(書字など)は左だが、利き腕(ストレートパンチなど)は右である。
- プロレス転向時には自前でプロモーションビデオを製作し、団体に売り込んだ。
- 頭のしわを寄せる一発芸を持っている。
- ジュースをピッチャーで一気飲みする。
- 逮捕しちゃうぞ(テレビ朝日)で共演した原沙知絵が大好き。
- テレビの生番組中に和田アキ子とキスをしたことがある。
- シアトルに豪邸を持っていて、中にはホームシアターが完備されている。
- 「トリニティ」という名前のサーバルキャット(♀)を飼っている。
- モーニング娘。の卒業メンバーの1人、矢口真里は親友。
- 2002年ごろから2004年10月まで日本のバラエティ番組に出演していた。
- 日本のCMにも出演
- 2003年3月5日、フジテレビ・「力あわせてゴーゴゴー」で、シングル「SAPP Time!」をリリースした。オリコン週間チャート最高28位。
- 実兄までもがK-1に参戦する発表があったが、怪我をしたという理由で試合がキャンセルされた。その後、参戦発表は行われていない。
[編集] タイトル歴
- 第37代IWGPヘビー級王座
- 2005年 K-1 JAPAN GP王者