九里一平
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九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - )は、京都府京都市出身の漫画家、アニメーション制作会社タツノコプロ第3代社長。
目次 |
[編集] 来歴・人物
本名は吉田豊治(よしだ とよはる)。タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。
ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」といわれ「クリ=九里」とし、さらにそこから「一平」をつけたことによる。
挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。当初は挿絵画家志望だったが、竜夫の影響で漫画家を志し、竜夫のアシスタントとして活動した後、赤本の描き下ろし単行本『あばれ天狗』でデビュー。『マッハ三四郎』などの作品で人気を博す。タツノコプロ設立後は、多くのタツノコアニメでプロデューサー・企画・監督などの重責を約40年間にわたって担い続けた。
[編集] 経歴
- 1940年、京都市に生まれる。
- 1958年、京都市立洛陽高等学校を中退。挿絵画家を志し、次兄・吉田健二とともに上京。
- 1959年、赤本の描き下ろし漫画単行本『あばれ天狗』を経て、集英社の日の丸誌に『Zボーイ』を連載し、中央の出版社でデビュー。
- 1962年、竜夫、健二と3兄弟でアニメーション制作会社「タツノコプロ」を設立。
- 1977年、タツノコプロの子会社・アニメフレンド(1990年解散)が設立され、同社の代表取締役に就任。
- 1987年、吉田健二の社長退任に伴い、タツノコプロの第3代社長に就任。
- 2005年
- 7月1日、大手玩具メーカータカラによるタツノコプロ子会社化を受けて社長を退任。この時、吉田健二会長も同時に退任、吉田家一族がタツノコの経営から離れた。
- 10月、第10回アニメーション神戸賞(神戸市主催)特別賞受賞。
[編集] 主な作品
[編集] 漫画
- マッハ三四郎(原作:久米みのる、構成:吉田竜夫)
- 紅三四郎
- ファイター健
- 弾丸児
- アラーの誓い
- 海洋少年隊
[編集] アニメ
- 宇宙エース(企画・演出・キャラクターデザイン、他)
- 科学忍者隊ガッチャマン(プロデューサー)
- 新造人間キャシャーン(テレビアニメ版=プロデューサー、OVA版=エグゼクティブプロデューサー)
- 宇宙の騎士テッカマン(プロデューサー)
- タイムボカンシリーズ(企画・プロデューサー・監督、他多数)
- 科学忍者隊ガッチャマンII(プロデューサー・キャラクターデザイン)
- とんでも戦士ムテキング(企画・プロデューサー・キャラクターデザイン)
- マッハGoGoGo(1997年版)(キャラクター原案・アートディレクター・主題歌作詩、他)
これらはごく一部で、ほとんど全てのタツノコアニメに重要な役割で携わっている。
[編集] 著書
- 『京の夢、明日の思い出—あの頃のぼくに招かれて』:講談社、2004年11月初版 ISBN 4062126508