九鬼隆国
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九鬼 隆国(くき たかくに、天明元年(1781年) - 嘉永5年12月15日(1853年1月24日))は、摂津三田藩の第10代藩主。父は第9代藩主・九鬼隆張(隆国は長男)。母は島津久柄の娘。正室は蜂須賀重喜の娘。側室は多数(3名)。子に隆徳、一柳末徳、娘(谷衛弥室)。官位は従五位下、和泉守。
天明元年(1781年)、江戸で生まれる。幼名は仙次郎。寛政10年(1798年)2月6日、父の隠居で後を継いだ。翌年12月18日に叙任する。勅使接待役や奏者番を務めたが、そのためによる出費で藩財政が悪化した。
正室が蜂須賀松平氏であったことから、天保10年(1839年)に城主格に任じられた。藩政では京都から近藤顧一郎を招聘して、藩校の国光館を造士館として発展させた。天保14年(1843年)6月19日、子の九鬼隆徳に家督を譲って隠居し、南嶽と号した。嘉永5年(1852年)12月15日、72歳で死去。法号:承烈院。
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