亀田大毅
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亀田大毅(かめだ だいき、1989年1月6日 - )は、プロボクサーである。右ファイター。ボクシング家族である亀田三兄弟の次男で、亀田興毅の弟であり、亀田和毅の兄である。父の亀田史郎がトレーナーを務める。身長168センチ。
2007年2月現在、フライ級の世界タイトル戦線に参戦するため、減量調整中。
WBAフライ級のタイトルを狙っていたが、同門の坂田健史が同級世界王者になった為、現段階でのWBA挑戦の実現は困難となった。
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人物
- 自称「浪速乃弁慶」(なにわのべんけい)。その由来は「倒れないタフなところ」に憧れたもの。
- デビュー戦用のポスターには自ら武蔵坊弁慶のイラストを描いた。
- イラストが得意で、イラストレーター志望という報道がなされたこともある。
- プロライセンスの実技試験には、世界戦レベルの50人を超える報道陣が集まり、同日にパシフィコ横浜でデビュー戦を行った。
- 筆記試験では、「協栄」という漢字が書けなかったと告白している。
- 試合後、リング上でハウンド・ドッグの『Only Love』を歌った。三兄弟の中では一番唄がうまいとされている。
- 他にも、試合後にリング上で歌うことがある。この事には賛否両論がある。
来歴
大阪市西成区天下茶屋出身。小学生からボクシングを始め、天下茶屋中卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。2004年(平成16年)5月に、史上最年少の15歳3ヶ月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。
プロ経歴
2006年2月26日 対サマート・シットサイトン(タイ)1R23秒KO勝利
- 試合開始10秒、左フックによるKO勝利。対戦前に宣言していた「兄の興毅が記録した“1ラウンド44秒のKO勝利”を抜く」を実行した。
- 対戦相手のサマート・シットサイトンは日本ボクシングコミッションから2006年度の招聘禁止選手(来日成績が未勝利かつ、KO負けや無気力試合の末の大差判定負けが続いている選手──主にタイ人が指定される)であったが、指定された後の05年12月にタイ国で1勝を挙げ、同国コミッションより「B級(6回戦)の試合の出場が適う」と推薦を得た上で日本での試合出場が認められていた(「ボクシングマガジン」06年4月号より)。
2006年8月20日 対ウィド・パエス(インドネシア)1R1分45秒KO勝利
- ウィド・パエスは当時インドネシアマイナー団体の現役王者。
- 試合後の勝利者インタビュー中、試合を八百長であると罵倒する観客の声がテレビ中継で収録されている。
2006年9月27日 対バレリオ・サンチェス(WBC世界スーパー・フライ級21位)判定勝利(2-0)
- サンチェスは当時36歳、34戦17勝勝率5割。試合はWBAのメンドーサ会長・役員も観戦していた。
- 試合後、判定内容を批判した観客と、別の観客及び亀田史郎らとの間で揉み合いが発生した。
- 試合後、メンドーサ会長は、大毅の印象について、潜在能力があるが、経験が不足していることを指摘するコメントをしている。
2006年12月20日 対モハマド・サディック(インドネシアライトフライ級4位)1R37秒KO勝利
- モハマド・サディックは当時33歳、海外の好事家が運営するプロボクシング戦績データベース・boxrecで正確に確認しうる公式試合記録は7戦0勝(最終記録は1999年4月5日)。
- (出典:Mohammed Sadik BoxRec.com)
2007年2月24日 対ビッキー・タフミル(元WBAライトフライ級4位)3R1分18秒KO勝利
- ビッキー・タフミルは当時32歳、33戦31勝10KO2分。
- 大毅にKOされた際、タフミルは何故か満面の笑みを浮かべており、試合VTRで観戦していた興毅がタフミルを見て「何やコイツ!?」と声を上げ驚いていた。
- 後日、タフミルが世界4位だったのは2006年12月までであり、WBAは2007年1月以降、タフミルの長期ブランクを理由にランキングから除外していたことが発覚。
- また、タフミルはライトフライ級(47.61キログラム~48.97キログラム)の世界ランカーであったが、この試合は契約体重51.5キログラムと、ライトフライ級より2階級重いスーパーフライ級に相当する体重で行われた。なお、大毅がこの試合以前に行った試合の契約体重は、すべてフライ級~スーパーフライ級に相当する。
- これにより大毅の世界上位ランキング入りは見送られることとなった。
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