五月革命 (フランス)
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五月革命(ごがつかくめい)とは、1968年5月21日にフランスのパリで行われたゼネストを主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府の政策転換を指す。
事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまる。Nanterreに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ大学に学生の自治と民主化の運動に継承された。フランスのユダヤ系ドイツ人留学生でアナキストの赤毛のダニーことダニエル・コーン=ベンディット(ダニエル・コーン=バンディ)が指導部の中心にいた。フランス全体の労働者も同趣旨から、民主化に賛同し、運動は拡大した。5月21日にはベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネストは第二次世界大戦以来の政府の危機をもたらした。
伝統的左翼政党であるフランス共産党は、影響下にある労組ナショナルセンターであるCGTを通じて労働者のストライキを組織したが、ベンディットらの急進的な学生運動を一貫して否定し、バリケードを構築しての衝突や街頭占拠を積極的に推し進めるアナーキストやトロツキストたちを「挑発者」として、激しく非難した。
シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って事態の解決をみた。労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。また、五月革命は政治的側面のみならず、「旧世代に反対する新世代の台頭」あるいは「フリーセックス」「自由恋愛」に代表されるような「古い価値観を打破する20世紀のルネッサンス運動」という意識を持って参加するものも多かった。
この五月革命は、中国における文化大革命とともに「世界的学生反乱」を大きく波及させた。「反乱」はフランスのみならず、5月11日にはドイツのボンで50,000人の抗議行動、5月16日にはイタリアのフィレンツェでの大学学生抗議行動、5月18日のローマでのストライキ、遅れて同年夏に開始された東京大学学生占拠に象徴されるような全共闘の活動などに飛び火し、世界史的にも稀な「政治の季節」の導火線となった。
この運動の成果は、文教政策の転換にあり、教授の権限の縮小と、学生の主体性を文部省が公的に承認し、アグレガシオン等の民主化、大学自治の確立にある。