ユダヤ
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ヤコブの子ユダにちなみ、かつてユダ王国があったことからこう呼ばれるようになった。
[編集] 紀元前
アブラハムは、ユダヤ人たちの父(先祖)である。今から約5000年前、紀元前3000年前にアブラハムがカルデヤのウル(現在のイラク)から出発して、父親の定住したカランを経てカナン(現在のイスラエル)に移住した。
アブラハムは、イシュマエルとイサクを生み、イサクはヤコブを生んだ。このヤコブ(イスラエル)に12人の息子が生まれ、モーセによるエジプト脱出の後、この12部族にそれぞれ土地が与えられた。ユダに与えられた土地が、のちにユダヤと呼ばれるようになった。
厳密には、ベニヤミン族はユダ族に吸収されたため、この2部族の土地がユダヤと呼ばれ、レビ部族は祭司職に就き、各部族の中に町を与えられていた。ソロモン王の死後、統一王国は北イスラエル王国と、南ユダ王国に分裂する。北イスラエルは、サマリヤを首都に、南ユダ王国はエルサレムを首都にした。
紀元前721年に、北のイスラエル王国(10部族)がアッシリアに滅ぼされ、紀元前586年には南のユダ王国も新バビロニアによって滅ぼされ、支配者階級は捕囚として連行された(バビロン捕囚)。その後、ユダヤ人は帰還してエルサレム神殿の再建を行い再び定住した。
[編集] 紀元後
イエス・キリストの時代には、エルサレムのあるユダヤを中心にガリラヤ地方、サマリア地方があり、全てローマ帝国の支配下であった(ユダヤ属州など)。又、ガリラヤは異邦人のガリラヤと呼ばれ、ユダヤからは低く見られていたようである、サマリアは、イスラエルと他民族との混血であり、ユダヤ人から軽蔑されていた。
紀元70年エルサレムはローマ帝国軍に滅ぼされ、ユダヤ人は中東世界に離散(ディアスポラ)した、ユダヤ的なものを一掃しようとしたローマ人は、この土地をユダの地(ユダヤ)ではなく、ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナという名前をつけたため、ユダヤという地名は消滅した。
1948年に建国した新国家は、イスラエル国と命名された。
北イスラエル王国の十部族は帰還せず、現在に至るまで行方不明である(イスラエルの失われた10部族)。その一部が、日本にまで来たという説もある(日ユ同祖論)
聖書の創世記には、ユダヤ人の先祖アブラハムのモリヤ山での試練などが、記載されている。