井上正和
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時代 | 江戸時代後期(幕末)から明治時代 | |||
生誕 | 天保4年(1833年) | |||
死没 | 明治4年11月24日(1872年1月4日) | |||
別名 | 松三郎(幼名) | |||
戒名 | 玄勇院広山日仁 | |||
墓所 | 東京都文京区白山の浄心寺 | |||
官位 | 従五位下、筑後守 | |||
藩 | 下総高岡藩主 | |||
氏族 | 井上氏 | |||
父母 | 父:井上正瀧、養父:井上正域 | |||
兄弟 | 井上正域、井上正和、永井直哉 | |||
妻 | 正室:諏訪忠恕の娘 | |||
子 | 井上正順 |
井上 正和(いのうえ まさかず)は、下総高岡藩の第10代藩主。
[編集] 経歴
第8代藩主・井上正瀧の次男として生まれる。弘化3年(1846年)に兄で第9代藩主の井上正域が嗣子無くして死去したことから、兄の養子となって家督を継ぎ、第10代藩主となった。嘉永元年(1848年)12月24日、従五位下、筑後守に叙位・任官する。嘉永4年(1851年)9月8日、日光祭祀奉行に任じられる。嘉永6年(1853年)に大坂加番に任じられる。文久2年(1862年)には江戸藩邸に藩校・学習館を創設した。
慶応3年(1867年)3月28日、長男の井上正順に家督を譲って隠居し、明治4年(1871年)11月24日に死去。
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