加藤俊夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 俊夫(かとう としお、1948年1月20日 - )は、サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ・東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズ・横浜大洋ホエールズに所属したプロ野球選手(捕手・一塁手)。宮城県出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
仙台育英高校(現・仙台育英学園)から社会人の日本軽金属を経て1966年、第二次ドラフト1位でサンケイに入団。アトムズ時代は目立った活躍は無く、自動車の無免許運転で逮捕され解雇。1年のブランクを置いて、東映で選手生活の再スタートを切ってから花を咲かせ始め、1973年・1977年・1978年・1980年と計4度のオールスターゲーム出場やベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞受賞(1977年)等通算1507試合に出場した。
1982年に大洋へ移籍し1985年に現役引退。その後は地元仙台のTBCラジオで野球解説(当時仙台はロッテの準本拠地でもあった)をしていた。TBCラジオ専属解説者としては古株で現在も野球解説を続けている土屋弘光と共に長年に渡って宮城県のプロ野球ファンに馴染みある解説を繰り広げていた。キャッチャー目線からの配球や投球術等大いに聴かせる面も多かっただけに再び声を聴きたい野球解説者の一人である。
現在、マスターズリーグの札幌アンビシャスの主戦捕手として活躍。「他の選手がマスクを被ると不機嫌になるから、全試合マスクを被った」という逸話は有名。渋いバッティングとリードは、今だ健在。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 宮城県仙台市宮城野区
- 球歴 仙台育英高―日本軽金属―サンケイ・アトムズ・ヤクルト(1967年-1970年)―東映・日拓・日本ハム(1972年-1981年)―大洋(1982年-1985年)
[編集] タイトル・表彰
- ベストナイン(1977年)
- ダイヤモンドグラブ賞(1977年)