十和田湖
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発荷峠より |
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所在地 | 青森県 秋田県 | |||
面積 | 61.1 km² | |||
周囲長 | 46.0 km | |||
最大水深 | 327.0 m | |||
平均水深 | 71.0 m | |||
貯水量 | 4.19 km³ | |||
水面の標高 | 400 m | |||
成因 | カルデラ湖 | |||
淡水・汽水 | 淡水 | |||
湖沼型 | 貧栄養湖 | |||
透明度 | 9.0 m |
十和田湖(とわだこ)は、青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖。十和田八幡平国立公園内にある。
目次 |
[編集] 地理
十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖。現在も活火山として指定されている。最大深度327mは日本第三位。流出河川は奥入瀬川。胡桃を半分にした形。
湖の中央、御倉山と中山半島の間にある中湖(なかのうみ)とよばれる水域が最深部であり、御倉山の東側の東湖(ひがしのうみ)や中山半島の西側の西湖(にしのうみ)と呼ばれている水域の水深は50~100mほどである。
なお、江戸時代より郡の境界が不明確で十和田湖の帰属が決まらないため、青森県と秋田県との境界はいまだに確定していない。
[編集] 歴史
十和田湖の原型(外縁)は、約3万年前の十和田火山の大噴火と陥没(第一カルデラ)によってできたと考えられている。東湖や西湖はこの第一カルデラの一部である。
さらに約1万年前に十和田カルデラの東南部(御倉山と中山半島の間)において噴火によってカルデラ内部に五色岩(または五色台)火山が形成された。五色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長させた。その後、安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出するようになった。それに伴い爆発的噴火が多発し火口を拡大していった。そして、5400年前の噴火で火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に流入した。これにより中湖ができたと考えられている。
915年(延喜15年)、十和田湖は大噴火を起こした。このとき毛馬内火砕流が周囲20kmを焼払った。この噴火は過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。この噴火の火山灰は東北地方一帯を広く覆い、甚大な被害をもたらしたと推定される。
1855年(安政2年)、新渡戸伝(新渡戸稲造の祖父)によって三本木(現・十和田市)開拓が着手された。奥入瀬渓流の下流には、その際に作られた十和田市法量(旧十和田湖町法量)から開拓地への水路(稲生川)の取水口がある。
明治時代に和井内貞行によってヒメマスの養殖が成功し、特産物として重要な観光資源になっている。なお、湖畔の秋田県側の小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒメマスの孵化場がある。
「十和田湖および奥入瀬渓流」として文化財の特別名勝及び天然記念物に指定されており、1936年、周辺の奥入瀬渓流、八甲田火山群と共に十和田八幡平国立公園に指定された。
紀行文作家大町桂月はこの湖の美しさについて、「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」と評している。
[編集] 観光
湖畔には高村光太郎作のブロンズ像「乙女の像」の他、十和田ビジターセンター、十和田科学博物館などがあり、観光用の湖上遊覧船が運行している。
湖に突き出した中山半島には十和田神社がある。
また十和田湖畔温泉があり、国民宿舎が設置されている。
毎年7月の第三金・土・日曜日には「湖水まつり」が開催され、また7月下旬の日曜日には十和田湖一周道路(約50km)を約12時間かけて歩く「十和田湖ウォーク」が行われる。
[編集] アクセス
鉄道下車駅 | 乗車路線 | 所要時間 | 下車停留所 |
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東北新幹線盛岡駅 | 岩手県北バスとわだこ号 | 約2時間 | 十和田湖下車 |
東北新幹線八戸駅 | JRバス東北おいらせ号 | 約2時間20分 | 十和田湖下車 |
東北本線青森駅 | JRバス東北みずうみ号 | 約3時間 | 十和田湖下車 |
十和田観光電鉄線十和田市駅 | 十鉄バス十和田湖観光線 | 約1時間40分 | 十和田湖バスターミナル下車 |
花輪線十和田南駅 | 秋北バス急行十和田湖~八幡平線 | 約1時間 | 十和田湖下車 |