十大弟子
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
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経典 |
聖地 |
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十大弟子 (じゅうだいでし)とは、釈迦(釈尊)の10人の主要な弟子のこと。経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経では以下の通りである。
(1)舎利弗 (しゃりほつ)
- パーリ語でサーリプッタ (saariputta、सारिपुत्त)。サンスクリット語でシャーリプトラ(Zaariputra、Sariputra)。舎利子とも書く。智慧第一。
- 『般若心経 』では仏の説法の相手として登場。
(2)摩訶目犍連 (まかもっけんれん)
- パーリ語でマハーモッガラーナ (mahaamoggallaana、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマゥドガリヤーヤナ (Mahamaudgalyāyana)。 一般に目連と呼ばれる、神通第一。
- 舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会 』(うらぼんえ)の起源だとしている。
(3)摩訶迦葉 (まかかしょう)
- パーリ語でマハーカッサパ(Mahaakassapa、महाकस्सप)、 サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahakasyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一。
- 釈迦の死後その教団を統率し、500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集し(第一結集)、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第一祖となった。
(4)須菩提 (しゅぼだい)
(5)富楼那弥多羅尼子 (ふるなみたらにし)
- サンスクリット語でプールナマイトラーヤニープトラ(puurNamaitraayaniiputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。
- 略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。
(6)摩訶迦旃延 (まかかせんねん)
- パーリ語でマハーカッチャーナ(mahaakaccaana、महाकच्चान)。論議第一。
- 辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
(7)阿那律 (あなりつ)
- サンスクリット語でアニルッダ(aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一。
- 釈迦の従弟で阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
(8)優波離 (うぱり)
- サンスクリット語でウパーリ(upaali、उपालि)。持律第一。
- もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。第一結集においては、彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
(9)羅睺羅 (らごら)
- サンスクリット語でラーフラ(raahula、राहुल)。羅云とも書かれる。密行第一。
- 釈迦の息子。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。
(10)阿難 (あなん)
- サンスクリット語でアーナンダ(aananda、आनन्द)。多聞第一。
- 釈迦の従弟。阿難陀とも書く。nandaは歓喜という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の世話をした。第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。