南町通り (仙台市)
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南町通り(みなみまちどおり)は、仙台市青葉区の旧仙台家庭裁判所(西公園通りとの連結部)から仙台駅前バスプール出口(駅前通りとの連結部)までの道路を指す。片側2車線。街路樹が植えられているが、北に並走する青葉通りなどと比べると目立たない。
仙台駅からのびる南町通りは、昔の終点である南町との交点を過ぎると仙台高等裁判所に突き当たる。今の南町通りは、裁判所を避けて右(北)ななめに折れ、高裁前交差点で左に向きを戻す。これを反対側からたどると、高裁前で右に曲がり、次の交差点で左に戻して駅に向かうことになる。しかしこの後の交差点では直線に五橋通りが通じており(写真参照)、ぎくしゃくした道筋になる。
仙台駅に近い東部分の沿道には、商店とオフィスビルが立ち並ぶ。西に行くにつれ中・高層のマンションが目立つようになる。
[編集] 歴史
江戸時代の南町は芭蕉の辻から奥州街道沿いに南にのびる町のことで、東西に走る南町通りとは別物である。今の南町通りにあたる道は道幅は1.8メートルほどの細い道であった。1887年に仙台駅ができると、この道が駅前通りになり、道幅が16.2メートルに広げられた。1926年には市電が開通し、この通りを1976年まで通ることになった。駅から南町に至る通りということから、南町通りとなった。南町通りは20世紀前半の仙台で中心的な街路であった。
満州事変で活躍した第二師団の凱旋を記念するため、1932年12月に東北帝国大学教授の有志や南町通り沿道住民からの要望を受け、師団長多門二郎の名から多門通り(たもんどおり)と改称された。翌1933年1月には、第二師団が仙台駅からこの通りを凱旋行進して、多くの市民の歓迎を受けた。戦後、南町通の名が復活し、現在多門通の名を知る人は少ないが、市道の正式名称「市道多門通・元常盤丁線」として残されている。
1945年に仙台に進駐したアメリカ軍は、南町通りを「メイプル・ストリート」と呼んだが、市民は用いなかった。
戦後の復興計画で、青葉通り、広瀬通り、定禅寺通りが新たな主要道として整備された際、青葉通りが最大幅50メートルで新設された一方で、南町通りの拡幅は26メートルにとどまった。戦後も南町通りは商業地として賑わうが、どちらかといえば官庁やオフィス中心であり、中心街路の地位は前記3つの通りに譲った。
[編集] 沿道の施設など
- 仙台市消防局片平出張所
- 仙台高等裁判所
- 仙台地方裁判所
- 仙台家庭裁判所
- 仙台中央郵便局
- 日本郵政公社東北支社
- 仙台貯金事務センター
- 旧農林中央金庫仙台支店(戦災を免れたルネサンス式建物だったが、2006年解体)
- 十字屋(2005年11月30日閉店)
- E.beans
- エスパル仙台
- JR仙台駅
- 地下鉄仙台駅
仙台市の愛称命名道路 |
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