広瀬通り
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広瀬通り(ひろせどおり)は、宮城県仙台市青葉区にある片側3車線の道路。仙台市道元寺小路愛子線のうち、仙台西道路川内トンネル口(西公園通りとの交叉点)から仙台駅前の宮城野橋(X橋)の北西入口(駅前通りとの交叉点)までの区間を指す。また、川内トンネル口から晩翠通りまでの区間が国道48号に指定されている。沿道の街路樹はイチョウ。
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[編集] 概要
仙台市都心部を東西に走る幹線道路の内、広瀬通りは定禅寺通りと青葉通りとの間にあって並走している。仙台発着の高速バスは、この広瀬通りを経て仙台西道路に入り、仙台宮城ICから東北自動車道に入る路線が多い。
沿道両脇は、企業の本支店が入るオフィスビルが多く並んでいるが、広瀬通りと一番町が交差する「広瀬通一番町」の周辺は仙台の商業(物販・サービス)の中心地であり、ファッションビルや専門店などが軒を連ねている。この交差点の広瀬通り沿いには、高速バスや仙台市営バスなどの停留所、タクシー乗り場、地下駐輪場があり、また、一番町四丁目商店街とぶらんどーむ一番町との間の横断歩道があるため、この交差点を先頭に広瀬通りが渋滞する傾向がある。さらに、夕方以降に渋滞が起きる繁華街の国分町から渋滞が波及し、「広瀬通国分町」も混雑する。特に広瀬通りの東行き(仙台駅方面)の渋滞がひどい。
広瀬通りと東二番丁通りの交差点は、仙台で最も多くの交通事故が起きる交差点として有名である。
[編集] 地下構造物
- 東二番丁~東五番丁:仙台市営地下鉄(SS)・南北線
- 東二番丁~東三番丁:広瀬通駅連絡地下道
- 東三番丁~東四番丁:SS広瀬通駅
- 国分町~東一番丁:広瀬通り地下駐輪場
- 木町通り(本材木町)より西:仙台西道路立町トンネル
[編集] 接続道路
東端の宮城野橋から東は一方通行の市道であるが、この道は国道45号の迂回路として交通量がある。この道は仙台駅東第二区画整理事業の一環として4車線の道路に拡幅し、広瀬通りと接続する予定である。現在、用地買収が進み、宮城野橋以外の区間は工事が進んでいるが、宮城野橋付近の区間は着工されていない。
西端の仲の瀬橋の上層は文教地区の川内・青葉山地区に至り、下層は川内トンネルになり、地域高規格道路の仙台西道路となる(→仙台西道路参照)。
[編集] 歴史
江戸時代から第二次世界大戦まで、現在の広瀬通りの国分町通りより西側は立町、西公園通りより西側は立町新丁と呼ばれており、仲の瀬橋へと繋がっていた。国分町通りより東半分には特に道がなかったが、少し北にずれて、玉沢横丁(国分町~東一番丁)・立町通り(東一番丁~東二番丁)と東へ続き、また北にずれて赤井横丁(東二番丁~東三番丁)へと繋がっていた。
仙台空襲で焼け跡になった仙台市を復興するとき、東西の大通りとして仙台市道の元寺小路川内線が計画された。元寺小路川内線は、立町を拡幅した上で、東に直線的に延長する形で建設された。赤井横丁は元寺小路川内線の建設の影響を受けずに残ったが、それ以外の道は建設前の姿を残していない。
1947年に通りの名が河北新報で公募され、投票で1位になった広瀬通に決まった。
[編集] 沿道の施設など
[編集] 参考文献
- 仙台市開発局・編集発行『戦災復興余話』、1980年。
仙台市の愛称命名道路 |
定禅寺通 | 広瀬通 | 青葉通 | 南町通 | 五橋通 | 北目町通 | 宮城野通 | 新寺通 | 西公園通 |