双三郡
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双三郡(ふたみぐん)は2004年まで広島県に存在した郡の一つである。1898年10月1日に三谿(みたに)・三次(みよし)両郡が統合されて成立した。郡名は統合対象の三谿・三次両郡ともに「三」という字が使われていたため、二つの「三」の付く郡からなるということに由来する。2004年4月1日に当時の所属全町村(3町3村)と甲奴郡甲奴町が三次市(初代)と対等合併して三次市(2代)になり、消滅した。現在は三次市になっている。
[編集] 双三郡成立(1898年10月1日)当時の町村一覧
- ●三次町(みよしまち)
- ●板木村(いたきむら)
- ○神杉村(かみすぎむら)
- ●川地村(かわちむら)
- ○川西村(かわにしむら)
- ○吉舎村(きさむら)
- ●君田村(きみたむら)
- ●河内村(こうちむら)
- ●作木村(さくぎむら)
- ●酒河村(さけがわむら)
- ○田幸村(たこうむら)
- ○萩原村(はぎわらむら)
- ●原村(はらむら)
- ●布野村(ふのむら)
- ○三良坂村(みらさかむら)
- ●八次村(やつぎむら)
- ○八幡村(やわたむら)
- ○和田村(わだむら)
(以上1町17村)
[編集] 沿革
- 1898年10月1日 三谿・三次両郡が統合され成立する(1町17村)。
- 1917年5月1日 原村が村名改称の上町制施行し、十日市町(初代)になる(2町16村)。
- 1917年10月1日 吉舎村が町制施行し、吉舎町(初代)になる(3町15村)。
- 1921年6月1日 三良坂村が町制施行し、三良坂町(初代)になる(4町14村)。
- 1932年1月1日 三良坂町(初代)と萩原村が対等合併し、三良坂町(2代)が成立する(4町13村)。
- 1937年3月1日 十日市町(初代)と八次村が対等合併し、十日市町(2代)が成立する(4町12村)。
- 1948年12月1日 三次町が河内村の一部(日下〔ひげ〕・三原・山家〔やまが〕)を編入する(4町12村)。
- 1950年4月1日 高田郡粟屋村が双三郡に編入する(4町13村)。
- 1950年9月1日 川地村が高田郡甲立(こうたち)町秋町を編入する(4町13村)。※甲立町は現在の安芸高田市の一部。
- 1953年2月11日 吉舎町(初代)と八幡村が対等合併し、吉舎町(2代)が成立する(4町12村)。
- 1954年3月31日 十日市・三次両町及び粟屋・神杉・河内・酒河・田幸・和田各村が対等合併して市制施行し、三次市(初代)になる(2町6村)。
- 1954年11月3日 三良坂町が三次市皆瀬町及び三次市向江田町の一部(中之尾・横蔵の各一部)を編入する(2町6村)。
- 1955年3月31日 吉舎町が甲奴郡上川村の一部(知和及び安田・太郎丸の各一部)を編入する(2町6村)。※上川村の残部は甲奴郡甲奴町へ合併。
- 1955年3月31日 板木村と世羅郡津名村敷名、世羅郡上山村の一部が対等合併し、三和町になる(3町5村)。※世羅郡津名村の残部は世羅郡世羅西町(現:世羅町)へ、世羅郡上山村の残部は豊田郡豊栄町(現:東広島市)へそれぞれ合併。
- 1956年9月30日 三次市が川地村を編入する(3町4村)。
- 1958年2月11日 三次市が川西村を編入する(3町3村)。
- 2004年4月1日 吉舎・三良坂・三和各町及び君田・作木・布野各村が三次市及び甲奴郡甲奴町と対等合併して三次市(2代)が成立する。これにより双三郡消滅。