名護明彦
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名護 明彦(なご あきひこ、1976年9月26日 - )は、沖縄県那覇市出身のプロボクサーで、第21代日本スーパーフライ級王者。
アマチュア時代、富山インターハイ優勝・全国選抜大会準優勝・愛知国体準優勝の経歴を残し、沖縄県興南高校卒業後、元世界王者の白井義男、具志堅用高氏が共同経営を行っている白井・具志堅スポーツジムにスカウトされ入門。佐藤修とは当時から親友。
具志堅2世として、デビュー時から世界を期待されるホープとして注目を集めていた。その期待に答えるように戦慄KOで日本王座を獲得し、無敗で世界挑戦まで辿り着いた。しかし、世界戦で戸高秀樹に敗れてからは精彩を欠き、消極的な試合が目立つようになる。
徳山昌守に敗れた後、指導方針の違いから具志堅会長と決別。その後、ジムを移籍したものの白星と黒星を繰り返すうちに日本ランキングからも外れてしまった。
主な入場曲はDIAMANTESの「勝利のうた」。
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[編集] 経歴
- 1995年9月18日、竹内浩一に4R判定勝ちでプロデビュー。
- 1998年3月9日、日本ジュニアバンタム級王者の松倉義明に挑戦。9RKO勝ちを収め、日本王座を獲得。
- 1998年7月20日、村越裕昭に10R判定勝ちし、日本王座の初防衛に成功。
- 1998年10月25日、元世界王者の山口圭司に判定勝ちし、日本王座2度目の防衛に成功。世界挑戦に専念するため、12月17日に日本王座を返上。
- 1999年11月7日、WBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹に挑戦。12R判定負けを喫し、世界王座の獲得に失敗。
- 2000年12月12日、WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守の王座に挑戦。ダウン応酬の末、12R判定負けを喫する。
- 2002年2月5日、全日本パブリックボクシングジムに移籍し、トーンチャルン・オー・スワンナシンと対戦。8R判定負けを喫する。
- 2003年4月25日、元世界王者のヨックタイ・シスオーと対戦し、10R判定負け。
- 2004年12月8日、元日本王者の瀬川設男とサバイバルマッチを行い、10R判定勝ち。瀬川はこの試合を最後に引退。
- 2005年11月26日、高吉勝之と対戦し、8R判定負け。
- 2006年9月18日、スーパーバンタム級で斎藤憲一と約10ヶ月ぶりの試合を行い、8R判定勝ちを収める。
- 2007年3月20日、元日本ジュニアフライ級王者で世界挑戦経験者の本田秀伸と対戦。戦前は圧倒的不利を予想されていた名護だったが、2-0の判定で勝利。
[編集] 戦績
- アマ戦績54戦48勝(27KO・RSC)6敗
- プロ戦績35戦28勝(15KO)6敗1分
[編集] 関連記事
前王者 松倉義明 |
第21代日本Jバンタム級王者 1998年3月9日 - 12月17日 |
次王者 柳光和博 |