善化鎮
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台湾省台南県善化鎮 | |
地理 | |
位置 | 東経120°17" 北緯23°08" |
面積 | 55.3097km² |
人口 | |
戸口(2006年6月) | 13,105戸 |
人口(2006年6月) | 41,923人 |
政治 | |
行政区分 | 鎮 |
鎮長 | 李文俊 |
地方自治機関 | 善化鎮民代表会 |
下部行政区画 | 21里360鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 741 |
市外局番 | 06 |
鎮花 | - |
鎮鳥 | - |
鎮木 | - |
別称 | 湾裡 |
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善化鎮(ぜんかちん、Shanhua、シェンファー)は、台湾台南県に位置する鎮である。
目次 |
[編集] 地理
善化鎮は台南県の中央に位置し、北は麻豆鎮、官田郷と、南は新市郷と、東は大内郷、山上郷と、西は安定郷とそれぞれ接している。曽文渓中流の南側、嘉南平原に位置し、熱帯モンスーン気候に属している。
[編集] 歴史
善化鎮は古くは平埔族西拉雅族の4大社の一つに数えられた目加溜湾社(Bakaloan)の所在地であった。1625年、オランダ東インド会社が目加溜湾社に進出した際、西拉雅族により撃退されている。これに対しオランダは1635年派兵し、西拉雅族は椰子や檳榔などを献じて和平を請った。その後オランダはこの地に学校、教会を建設すると同時に、漢人の入植を促進し本格的な開発が開始された。明末、鄭成功がオランダを駆逐すると屯田政策を実施、この地を天興県善化里に帰属させた。清による統治が開始されるとそれまで原住民の居住地を表す「社」を付していたが、漢人の進出により「湾裡街」と改称された。日本統治時代には鉄道駅が設置されるなど発展し、1920年に「善化庄」と改称され、その後「善化街」に昇格し台南州新化郡の管轄とされた。光復後は台南県善化鎮と改編され現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
[編集] 歴代鎮長
代 | 氏名 | 退任日 |
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[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 0 | - |
技学 | 0 | - |
高中 | 1 | 国立善化高級中学 |
高職 | 0 | - |
国中 | 1 | 台南県立善化国民中学 |
国小 | 7 | 台南県立善化国民小学 台南県立陽明国民小学 台南県立大成国民小学 台南県立善糖国民小学 台南県立茄抜国民小学 台南県立小新国民小学 台南県立大同国民小学 |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
鉄道 | 縦貫線 | 善化駅 |
高速道路 | フォルモサ高速公路 | 善化IC |
省道 | 台1線 |
[編集] 観光
- 善化牛墟
- 善化糖廠
- 沈光文紀念碑
- 善化慶安宮
- 善化啤酒廠