台南県
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中華民国(台湾) 台湾省台南県 | |
地理 | |
位置 | 東経120'20" 北緯23'03" |
面積 | 2016.0075km² |
人口 | |
人口(2006年4月) | 1,106,310人 |
政治 | |
行政区分 | 県 |
県政府所在地 | 新営市 |
県長 | 蘇煥智 |
下部行政区分 | 2市7鎮22郷 |
その他 | |
郵便番号 | --- |
市外局番 | 06 |
県花 | 桂花 |
県鳥 | 水雉 |
県木 | 樟樹 |
別称 | 南瀛 |
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台南県の位置 |
台南県(たいなんけん、Tainan County)は、台湾南部に位置する県。台湾有数の農業県である。県内官田郷は陳水扁総統の出身地。県庁(県政府)所在地は新営市。
目次 |
[編集] 地理=
[編集] 歴史
台南は1621年に顔思斉、鄭芝龍らが以笨港を占拠し、台江(現在の七股郷)に根拠地を築いた記録があり、早くから漢人の入植が進められていた。
1624年、明との貿易を求めるオランダによって台南に根拠地が設けられ、漢人の入植地に侵入するとともに、原住民への教化を行うなどの活動を開始した。1636年には新港社(現在の新市郷)に台湾初の学校を建設した。これにより後世新港文書と呼ばれる、当時の口語をローマ字により転写された文書が作成されたのはこの時代である。
明の滅亡後、鄭成功が台湾を拠点に反清復明の運動を開始すると、明の行政区分を援用し台南地区に天興県と万年県を設置した。当時の台南地区は鄭成功の重要な拠点とされ、軍隊による屯田及び漢人の入植も台南を中心に行われた。この時代に由来する地名としては新営、柳営、下営などが現在でも残っている。
1684年、台湾を平定した清朝によって、台湾には台湾府及び台湾、鳳山、諸羅の3県が設置された。台湾及び諸羅が現在の台南県の地域に該当する。当時の台湾の中心は台南であり、そこを基点に南北に開発が進行した。1726年には台湾府知事蒋毓英が現在の永康郷に洲仔尾塩場を設置するなど、経済活動も活発に行われていた。1831年には現地の農民である欧陽安により虎頭埤水庫が現在の新化鎮に設けられ灌漑が実現している。当初は限られた地域への灌漑に限定されていたが、その後も整備が進み、現在では台湾を代表する農村風景となっている。
商業経済面では1860年に台湾が対外的に開港したことで、茶葉、砂糖、樟脳の輸出が開始される。台南地区は砂糖の主要生産地であり、1890年代には台湾全土の製糖所1,275箇所の内1,057箇所を占めるようになっている。
清末に日本の台湾出兵を受け、清朝の側にも海防意識が高まり、台湾での軍事施設の建設が推進される。1888年、台湾巡撫の劉銘伝により台湾の重要性が強調されるなどした結果、台湾省が新設され、その下に台北、台湾、台南の3府が設置された。これが「台南」という地名の初見である。
日清戦争により日本に割譲されることになった台湾では、割譲に反対する清官僚らにより台湾民主国が建国される。その歴史は「第一共和」及び「第二共和」の2期に及ぶが、第一共和が僅か10日で崩壊したのち、その後台南で第二共和が成立し、100余日に及ぶ抗争が始まる。
1895年9月12日、日本軍が南下し鉄線橋庄(現在の新営市)を占拠した翌日、郭黄泰、陳維邦、郭黄池、柯文祥らは各庄に呼びかけ抗日義勇軍を結成、鉄線橋庄を包囲して日本軍との激戦が2日間継続した。結局死傷者100余名を出して敗北するが、日本軍にも40余名の死傷者を出すなどの被害を与えた(鉄線橋事件)
1896年、全島を平定した台湾総督府は4月に新官制を発表し、台湾、台北、台南の3県を設置する。当時の台南県の行政範囲はかなり広く、現在の台南県のみならず、雲林県、嘉義県、高雄県、台東県及び花蓮県をも管轄としていた。
日本統治時代には台南でも近代化政策が推進され、1898年には大目降公学校をはじめ近代的教育機関が設置される。更に翌年には台南慈恵院を財団法人として設立し、医療関係の整備も進んだ。交通面では1990年11月に台南と打狗(現在の高雄市)の間に鉄道が開通している。また経済面では1903年に塩水港精糖株式会社が設立され、2年後には近代的な製糖事業が始まり、台湾の経済発展に大きく寄与している。
順調に見えた日本による台湾統治であるが、1915年に西来庵事件(台湾側では余清芳事件と称する)と呼ばれる武装抗日事件が発生する。余清芳、羅俊及び江定の3名が武装蜂起したが、日本官憲により摘発されるというものである。
そのような武装蜂起事件もあったが、1916年に台北と高雄を連絡する縦貫道路建設、1921年の烏山頭水庫建設の着工などが実施され、台湾の交通と農業の発展を柱とする近代化政策が着実に実現していった。
その後中華民国により領有された台湾であるが、1946年1月7日に台湾県政府が成立し、台南州の行政事務を継承、1月15日には台南県参議会が成立し、台南における地方自治の開始となった。しかし、1947年2月27日に台北市の闇タバコ取締りに起因する民衆蜂起、所謂二・二八事件が発生するとこの地方自治体制に深刻な影響を与えることになる。3月2日に台南地区でも大規模な民衆蜂起が発生、県長の袁国欽を初め県政府首脳は阿里山に避難してしまう。そのため、県の政務は軍の出動により事件が鎮圧される3月13日まで停止された。
1950年、中央政府より地方自治制度の改編が指示され、台南県は台南、嘉義、雲林の3県に分割された。新生台南県は7鎮、24郷を管轄するようになり、県政府も新営鎮に移された。そして1951年1月28日には台湾省各県市実施地方自治綱要に基づき第1回県議会選挙が行われた。
その後も農業施設への投資や、新たに工業地区を建設するなどの事業を行い、その後も農業、工業の発展を機軸とする発展を遂げ現在に至っている。
[編集] 行政区分
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
市 | 2 | 新営市 | 永康市 |
鎮 | 7 | 塩水鎮 | 白河鎮 | 麻豆鎮 | 佳里鎮 | 新化鎮 | 善化鎮 | 学甲鎮 |
郷 | 22 | 柳営郷 | 後壁郷 | 東山郷 | 下営郷 | 六甲郷 | 官田郷 | 大内郷 | 西港郷 | 七股郷 | 将軍郷 | 北門郷 | 新市郷 | 安定郷 | 山上郷 | 玉井郷 | 楠西郷 | 南化郷 | 左鎮郷 | 仁徳郷 | 帰仁郷 | 関廟郷 | 龍崎郷 |
[編集] 交通
- 航空:台南空港
- 鉄道:
- 道路:
[編集] 特産品
[編集] 観光地
- 雲嘉南濱海国家風景区
- 虎頭埤風景区
- 白河蓮花
- 烏山頭水庫風景区
- 黒面琵鷺生態保護区
- 関子嶺温泉
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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