喜納昌吉
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喜納 昌吉(きな しょうきち、昭和23年(1948年)6月10日 - )は、ウチナー・ポップを代表する音楽家。平成期の日本の政治家。参議院議員(1期)。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身。
生年月日 | 昭和23年(1948年)6月10日 |
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出生地 | 沖縄県コザ市(現・沖縄市) |
出身校 | 沖縄県立普天間高校 卒業 国際大学(現・沖縄国際大学)退学 |
学位・資格 | - |
前職・院外役職(現在) | 音楽家 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
参・内閣委員会委員 参・予算委員会委員 参・沖縄北方問題特別委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例区 |
当選回数 | 1回 |
所属党派(現在) | 民主党(鳩山グループ) |
党役職(現在) | 拉致問題対策本部幹事 沖縄県総支部連合会代表 |
会館部屋番号 | 参・議員会館407号室 |
ウェブサイト | 参議院議員 喜納昌吉 ウェブサイト |
目次 |
[編集] 概要
沖縄民謡の第一人者喜納昌永の四男。
沖縄民謡を元にした独特のメロディーとウチナーグチ(沖縄語)が特徴的なポップスを歌ってきた。彼のバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
1972年麻薬不法所持で逮捕される。翌1973年沖縄刑務所を出所。
平和活動に携わり、「すべての人の心に花を(「花」の副題でもある)、すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」というメッセージを発信し続けている。2002年3月13日には、このメッセージをテーマとするNGO、ピースメーカーズ・ネットワーク(PMN:Peace Makers Network)も作られた。2000年5月には北朝鮮平壤を訪問。現在も人道上の観点から対北朝鮮経済制裁に反対している。一方、防衛省設置法案には賛成した。
基地問題、アイヌ問題、世界の先住民族との連携、「ニライカナイ祭り」「白船計画」などに積極的に関わっている。
[編集] 代表曲
- 「ハイサイおじさん」中学時代に作曲したデビュー曲。「こんにちは、おじさん」の意味。
- 「花~すべての人の心に花を~」世界60カ国で3000万枚以上の売り上げ。喜納昌吉によると、音楽著作権がない国でのヒットが多いので、印税収入は少ないのだという。
[編集] 略歴
- 1948年、米軍占領下のコザ市(現・沖縄市)に生まれる
- 1964年、島袋中学入学
- 1964年、普天間高校入学
- 1967年、国際大学入学(現沖縄国際大学),友人兄弟で「チャンプルーズ」のもとになるバンド結成、民謡クラブ「ミカド」経営
- 1970年、国際大学(現・沖縄国際大学)中退
- 1972年、麻薬不法所持により琉球警察に逮捕される。
- 1973年、沖縄刑務所出所。
- 1976年、喜納昌吉&チャンプルーズ結成、「ハイサイおじさん」が沖縄で大ヒット
- 1977年、東京デビュー。
- 1980年、「花~すべての人の心に花を~」発売
- 1987年、タイで「花~すべての人の心に花を~」大ヒット
- 1991年、NHK紅白歌合戦出演
- 1993年、中国で「花~すべての人の心に花を~」大ヒット
- 1995年、第1回「遠藤実歌謡音楽大賞」受賞
- 1996年、朝日新聞「海への功労賞」受賞
- 「花~すべての人の心に花を~」 日本レコード大賞特別賞受賞
- 1998年、喜納の環境保護活動に対し 「オメガアワード」受賞
- 2004年、第20回参議院議員通常選挙比例区に民主党から出馬し当選する。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『喜納昌吉 1948~2000 流れるままに』エイト社 2000年
- 『泣きなさい笑いなさい』リヨン社 ; ISBN 4576880896 ; (1988/08)
- 『すべての武器を楽器に』冒険社 ; ISBN 4938913135 ; (1997/05) 、JLNSブロンズ賞受賞
- 『すべての人の心に花を』双葉社 ISBN 4575292079 ; (2001/04)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク