君主
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君主(くんしゅ、Monarch)の概念は歴史的なもので,その標識は必ずしも明確ではなく、多く、王、皇帝などの特定の称号、地位、呼称で呼ばれ、対外的に国家を代表し、国家統治の重要な部分(少なくとも行政権)を掌握する独任制機関で、国家・臣民の象徴的存在であるとされる。歴史的には絶対君主制の下で君主の権力は強大であったが、それはやがて市民革命を経て徐々に制限され、権力執行機関から、名誉職的要素の強い立憲(制限)君主に移行していった。君主の地位の継承方法によって、世襲君主と選挙君主に分かれる。
[編集] 概説
地位は世襲によって継承されることが多いが、かつてのポーランド・リトアニア連合王国や神聖ローマ帝国(正確にはドイツ王国)のように選挙によって君主が選出される選挙王制、現代のアンドラのように2人以上の人物を共同君主とする場合、マレーシアのように州ごとの世襲君主(スルタン)が交代で5年任期の連邦国家の君主となる場合などの例外もある。
なお日本語の民主主義の民主とは君主の対義語として作られた。 大正期に、吉野作造らによって唱えられた「民本主義」は、実質民主主義そのものであったが、 当時、神権天皇制国家であった日本においては「民主」という言葉自体が過激であると考えられ、「民本」と言い換えられた。
君主が元首となって統治する政体を君主制といい、君主制をとる国を君主国といったり、君主の称号に応じて帝国(皇帝・女帝,天皇の場合)、王国(国王・女王の場合)、公国(公・女公の場合)などという。君主が絶対的な権力を持っている政体は絶対君主制といい、立憲主義憲法(最高法規としての憲法という名称に加え、最低限、人権保障(日本国憲法においては人権規定「第3章国民の権利と義務」)、権力分立(同じく第4章以下統治機構)、法の支配(” 違憲審査権”憲法81条)、”適正手続”同31条)を制度として備える最高法規によって制限される政体を立憲君主制という。 ここで、注意すべきなのは「統治する主体」が君主であるなら「統治される客体」は、その両者の関係から国民ではなく「臣民」となる点である。 「国民」というなら、それは同時に「統治する主体」でなくてはならない(そこから、民主主義の大原則「治者と被治者の自同性」も導かれる)。 事実、英国では英国籍所持者は「臣民(英文で"subject")」と表記されるが、日本国憲法の英語原文では「"people"(国民)」となっており、 日本国憲法が、天皇を君主であるとは考えていない根拠と主張する者もいる。(しかし、民主政が深化した現在の英国においては一般的にsubject(臣民)ではなくcitizen(共和制、民主制国家における市民)が使われており、それは日本においても同様である。)
[編集] 君主の継承
君主の多くは世襲で継承され、同一家系から君主が連なるときにその連続体を王朝と呼ぶ。王朝は時として簒奪や断絶、中国における革命の易姓革命などによって交代するが、世襲の君主制で王朝交代は非常事態とされる。
世襲によらない君主制もある。君主権は、起源において、臣下の承認によって成立したものであるから、当初は君主が自由に処分できるものではなかった。その承認は(少なくとも支配集団の)共同の利益を実現する職能に対して与えられたから、無能な人物を血縁上の順位を理由に君主にする必然性もなかった。ローマ皇帝は、世襲原理をとらなかった顕著な例である。単数・複数の血族集団の中で年齢と能力を認められた者が君主を継承する慣行は、殷、日本、新羅のそれぞれ初期など数多くあり、古代にはこの方が一般的だったかもしれない。日本の天皇の前身である大王(おおきみ)も、群臣の推挙によって、一定資格を持つ王家の成員から選ばれていた。中世のドイツ・ポーランド・ハンガリーでは王家の断絶をきっかけに選挙王制が成立した。モンゴルの諸ウルスは、事実上の世襲だが、クリルタイによる選挙で君主を決めた。なお、決まらない期間が長期に渡ると、空位(くうい)と称される状態となる。
世襲によらない君主継承は、君主の死のたびに継承争いを引き起こす可能性を含んでいる(王位継承)。君主に選定される資格を持つ複数の候補に、それぞれ新政権下での地位向上をもくろむさまざまな政治的集団が結合することが、継承争いにからんで、時には激しい暴力的手段による解決が実行される大きな要因となっている。また、自分の子孫に君主権を独占させたいという現君主の欲望に即さない。継承の安定をはかり、現君主の意思を通すための制度として、王太子制がある。これは現君主の存命中に次の君主を決定し、継承争いを予防するものである。共同統治制も同じ目的で用いられることがある。
継承がさらに制度化されると、継承順位が世襲原理によって規定されることになる。その規定には、長男相続制があてられる場合が多かった。長男相続制は次代の君主を自動的に一人に確定できるので、君主の継承の際の紛争を最小限にした。しかし血縁の順位のみで選ぶと無能な君主や幼少の君主の出現が避けられない。そのような治世は、政治の混乱を来たすことが多かったが、継承の安定と引き換えに統治の実権を臣下に移すきっかけになることもあった。