国立アメリカ・インディアン博物館
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国立アメリカ・インディアン博物館(こくりつアメリカ・インディアンはくぶつかん、英語名National Museum of the American Indian)は、アメリカ合衆国首都ワシントンD.C.の中心部にある、ナショナル・モールに位置する博物館の名称。英語の頭文字をとり、NMAIと略されることがある。1989年にアメリカ合衆国議会法を経て建設が開始され、2004年9月21日に開館した。博物館は西半球における原住民達のくらし、言語、文学、歴史及び芸術などの生活に関連した文化を収める施設である。また、同博物館はスミソニアン博物館群で最も新しい16番目の博物館であり、スミソニアン協会によって管轄、運営されている。更にこのワシントンD.C.のナショナル・モールに存在する博物館を始め、ニューヨークにある国立アメリカ・インディアン博物館ジョージ・グスタフ・ヘイ・センターや、メリーランド州スートランドにあり、調査集積を目的として建てられた文化資源センターなど、3つの設備を有する。これらも全てスミソニアン協会の管轄下にある。開館時間は午前10時から午後5時30分まで。クリスマスを除き年中無休である。入り口では簡単な手荷物検査が行われる。ミュージアムショップやカフェテリアも充実。車椅子での来館や手話を必要とする来館者にも不便にならないよう設備が設けられている。
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[編集] 概要
[編集] ナショナル・モールにある国立アメリカ・インディアン博物館
ワシントンD.C.のナショナル・モールにある国立アメリカ・インディアン博物館は、2004年9月21に開館。工事着工から実に15年の歳月をかけて建立され、博物館はアメリカ州の先住民族にのみ独占的に的を絞った最初の国立博物館となった。全5つの階層、約2万3千平方メートル(25万平方フィート)の全フロア面積、滑らかな曲線で構成される建物は、黄金色のカソタ石灰岩で覆われており、それは幾千年もの時を経て風や水により形作られた自然の岩層を再現している。博物館自体は1.7ヘクタール(4.25エーカー)の場所に建てられ、アメリカ東部地方の水や低地を表現した景観で装飾されている。博物館東側のエントランスには、現代の先住民に献納された、様々な角度から光が差す窓と高さ120フィートに及ぶ吹き抜けのポトマック・スペースと呼ばれる空間が広がっており、これらは先住民族との広範囲に及ぶ協議や相談に直接起因するものであると言える。ニューヨークのマンハッタン南部に位置するジョージ・グスタフ・ヘイ・センターと同じく、ナショナル・モールにある同インディアン博物館は年間を通して一列に並んだ展示場、映画またはビデオ上映、学校団体及び一般観光客向けのプログラムや生活文化発表会が行われている。
博物館の設計者であり計画考案者でもあったのはカナダのオンタリオ州オタワ出身の建築家、ダグラス・カーディナル(ブラックフット族)であり、博物館の意匠建築家はアメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアにある建築会社、GBQCの建築家であるジョンポール・ジョーンズ(チェロキー族、チョクトー族)である。ダグラス自身がデザインし、首都ワシントンD.C.に建設することを計画したものだったが、建設中に意見の相違などがあったと見られ、ダグラスは博物館建設の企画から降りなければならなくなった。しかしながら建造物自体はダグラスが設計した原案の趣旨を維持したものとなり、存続されていた彼による寄付は竣工を果たすために使われた。
博物館建設にデザイン顧問として携わった事業建築者には、ジョーンズ・アンド・ジョーンズ建設株式会社、シアトル景観設計株式会社、ワシントンD.C.にあるスミス・グループ、ロウ・ウェラー(カドー族)、ネイティブ・アメリカン・デザイン・コラボレーティブ、ニューヨークのポルシェック・アンド・パートナーズ有限責任事業組合(LLP)からのラモーナ・サキエステワ(ホピ族)とダナ・ハウス(ナバホ族、オナイダ族)が挙げられる。景観設計者にはジョーンズ・アンド・ジョーンズ建設株式会社の建築家、シアトル風景建築株式会社、イドウ(EDAW)社からの建築家、バージニア州アレクサンドリアからの景観設計者が派遣された。全般にアメリカ先住民の人々が博物館のデザインや作業の指導の役割を担い、ヨーロッパにある美術館やヨーロッパ・アメリカ文化とは雰囲気や経験して得た知識が違うものにするよう意図した。景観・造園を指導したナバホ族とオナイダ族の植物学者であるドナ・ハウスは、「地形は建物へと流れ、そして環境は私たち自身なのです。私たちは木であり、岩であり、水なのです。よって私たちはこの博物館の一部でなくてはならないのです。」と述べている。
[編集] ジョージ・グスタフ・ヘイ・センター
国立アメリカ・インディアン博物館のジョージ・グスタフ・ヘイ・センターは、ニューヨーク、マンハッタン南部にあるアレクサンダー・ハミルトン米国税関の建物の2つの階に渡る場所を占めている。この建物は、1907年に建築家キャス・ギルバートによって建てられ、ボザール式の建造様式が採用されている。また、国定歴史建造物(National Historic Landmark)とニューヨーク市建造物(New York City landmark)の一つにも指定されている。センター展示場と公開区域は合計で約2万平方フィートに及ぶ。ヘイ・センターは博物館と同じく、展示場、映画やビデオ上映、学校団体・一般観光客向けプログラム、生活文化発表会が年中行われている。
[編集] 文化資源センター
メリーランド州スートランドにある文化資源センターは、国立アメリカ・インディアン博物館が運営するもので、多くの収集物と記録写真を収容する巨大なオウムガイ型の建物となっている。
[編集] 収集物について
国立アメリカ・インディアン博物館は以前から存在したアメリカ・インディアン博物館である、ヘイ財団が所有していた収集品群の収容施設になっている。収集品の数は80万を超え、記録写真の画像数は12万5千枚にも上る。1990年6月にスミソニアン協会の所有物の一部となったこれらの収集品群は、アメリカ・インディアンに関連した物を収集するため北アメリカから南アメリカまで旅したジョージ・グスタフ・ヘイ(1874年生、1957年没)の手により、1903年から実に54年の歳月をかけて集積された品々である。またヘイは自身が亡くなるまでニューヨークにあるアメリカ・インディアン博物館、ヘイ財団の創設者であった。ニューヨークの同博物館は1922年に開館しており、またワシントンD.C.の国立アメリカ・インディアン博物館と違って、国立の博物館ではない。
[編集] 博物館管理人
国立アメリカ・インディアン博物館の初代館長は、南部シャイアン族のピース・チーフであり、オクラホマ州シャイアン・アラパホ族の市民でもある、W.リチャード・ウェスト・Jrである。彼は1990年に同博物館の館長に任命される以前には、フリード、フランク、ハリス、シュリバー&ヤコブソン法律事務所の正弁護士を歴任し、続いて先住民が所有するニューメキシコ州アルバカーキのゴバー、ステッツォン、ウィリアムズ&ウェスト法律事務所にも勤めていた。彼は数多くの部族や機関の顧問弁護人や特別弁護人を務めた。
[編集] ギャラリー
ミュージアムショップも充実。写真はお土産用のネイティブ・アメリカンが使用するドラムの一種。 |
広いカフェテリアも魅力。写真のようなタマーリとカボチャ類のスープなど、幅広いメニューが楽しめる。 |
[編集] 関連項目
[編集] 参考
- Office of Public Affairs, Smithsonian's National Museum of the American Indian. Updated on 9/22/05.
- Francis Hayden, "By the People", w:en:Smithsonian, September 2004, pp. 50–57.
[編集] 外部リンク
カテゴリ: ニューヨーク市の博物館 | ワシントンD.C.の博物館 | スミソニアン協会 | 国立博物館