国鉄52系電車
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52系電車(52けいでんしゃ)は1936年から1937年にかけて、京阪神地区固有の急行電車(急電)のために製造された車両である。基本設計は国鉄42系電車に準じるが、車体形状に当時世界的に流行していた流線形を取り入れ、当初は「魚雷型電車」と形容され、後には「流電」の愛称で親しまれた。ここでは急電の増備を目的として1937年に製造された、半流43系も紹介する。
現在は西日本旅客鉄道(JR西日本)吹田工場にモハ52001(1981年10月14日、準鉄道記念物に指定)が、佐久間レールパークにモハ52004が保存されている。
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[編集] 概要
京阪神緩行線向けに増備が続いていた43系の設計を一部変更し、高速な急電用に特化して設計された。
機器面では主電動機がMT15系の高回転モデルであるMT16形(端子電圧675V時定格出力100kW)、主制御器(CS5形電空カム軸式制御器)、それに自動空気ブレーキ、と在来車とほぼ同一の仕様となっているため、運転上の取り扱いは42系と共通であり、付随車や制御付随車の混用が可能であった。ただし、高速運転を目的として歯数比が変更され、台車についても抵抗軽減を目的として、当時最新のローラーベアリングを軸受に使用する、TR25A(電動車用)およびTR23A(付随車用)に変更されているため、運転曲線そのものは42系と異なっていた。
車体については全溶接構造となり、加えて側窓上下の補強用シル・ヘッダーを外板裏側に隠したノーシル・ノーヘッダー方式と、雨樋を屋根上部に移設した、張り上げ屋根方式を採用したこともあって、非常に平滑な、すっきりとした外観となった。
「流電」の象徴ともいうべき流線型の前頭部は、4組の板ガラス窓を円周上に配置したもので、裾部が丸め込まれた床下のスカートとともに、1933年8月より運行を開始したドイツ帝国鉄道(DRG)の「フリーゲンダ・ハンブルガー(Fliegender Hamburger)」用SVT877形(後のDB VT04形)電気式ディーゼル気動車の影響を強く受けた造形であったが、本家よりも明朗かつ流麗にまとめられており、その登場は他の幾つかの流線形車両とともに、日本の社会に流線形ブームを引き起こすほどのインパクトを与えた。
もっとも、本系列の動力性能は、流線形採用による空力的なメリットが十分得られる程のものではなく、機器の保守についてサイドスカートの着脱を必要としたことから保守陣から嫌われ、また乗務員扉を省略したことから客扱い上、様々な不便が生じたため、2回に分けて3編成12両が流線形仕様で製造されたにとどまり、急電運用に必要であった残り2編成8両については、52系と在来の42系を折衷した通常仕様で製造されることとなった。
[編集] 第一次流電
モハ52001-サロハ46018-サハ48029-モハ52002の4両1編成が川崎車輌兵庫工場で建造された。窓配置は42系の相当形式に準じ、狭幅のままであった。
本編成のモハのみ運転台が半室構造の片隅式となっており、車掌台側は座席が設置されて乗客に開放されていた(※)。
- ※これは復元保存されたモハ52001で確認できる。
当初は従来通りの葡萄色を主体として、扉部とスカートを明度の高いベージュに塗り分け、さらに屋根を灰色に塗装した、比較的地味な塗装であった。これは後に2次車に合わせて窓部をベージュに塗り分けた新塗装への変更が実施され、その際サロハは2次車に準じたトイレの設置が実施され、サロハ66021に改番されている。
[編集] 第二次流電
一次車が好評だった事から、2編成が増備された。モハ52003-サロハ66016-サハ48030-モハ52004とモハ52005-サロハ66017-サハ48031-モハ52006の計8両で、これらの車両では側窓が広幅のものとなり、さらにスマートになっている。
[編集] 第三次流電
流電は利用客からは好評だったが、乗務員扉省略やスカートの装着は運用・整備上極めて不便を来した。このため、第4、5編成では、中間車はそのままに先頭車のみを貫通型のモハ43に変更して建造されることとなった。但し、前面は半流で側面も2次形同様の広窓としたため、従来の43系とも違った形態になった。当然ながら全車ともスカートが廃止されている。
編成は以下の通り
- モハ43039-サロハ66020-サハ48032-モハ43038 モハ-43041-サロハ66019-サハ48033-モハ43040
この編成はその独特の形態により、当時のファンの間から「合の子流電」、あるいは単に「合の子」と俗称された。「合の子」は現在では人種差別的なニュアンスを含む好ましくない用語となっているが、当時はそのような意識はなく、流電と半流線形のハイブリッドスタイルという意味合いで率直に表現したに過ぎない。
もっとも近年の鉄道雑誌等の旧型国電記事では、43系半流車の「合の子」呼称が差別的と誤解されることを避けるために「半流」などの表現を使い、「合の子」という通称が存在したこと自体を記述しないケースも見られる。なお、本項での「合の子」記述に差別的意図はない。
[編集] 参考文献
[編集] 52系
- 手塚一之 ほか「流電52系姉妹の一代記」I~V
- 交友社『鉄道ファン』1999年9月号~2000年1月号 No.461~No.465
[編集] 43系
- 手塚一之 ほか「半流43系姉妹の一代記」I・II
- 交友社『鉄道ファン』1998年10月号~11月号 No.450~No.451
[編集] 関連項目
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