国鉄旧形電車の車両形式
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国鉄旧形電車の車両形式(こくてつきゅうがたでんしゃのしゃりょうけいしき)
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[編集] 歴史
国鉄の車両称号規定に、旧形電車という言葉が現れるのは、1959年(昭和34年)5月30日付総裁達第237号(同年6月1日施行)による規程改正時のことであり、この改正で独自の称号規程を制定された新形電車に対するものとしてである。この称号規程改正で旧形電車として分類された電車は、1906年(明治39年)に国有化された甲武鉄道引継ぎの二軸車以来の伝統式な駆動方式である釣り掛け式を採用する電車群である。
国有鉄道の車両の統一的な形式番号付与基準が初めて制定されたのは、1911年(明治44年)1月16日付達第20号によってである。このとき電車は、汽動車(蒸気動車)とともに、客車の一部として扱われている。
電車が電車として独自の形式番号体系を獲得するのは、1928年(昭和3年)5月17日付達第380号(同年10月1日施行)による称号規程改正時である。このときの称号規程が、以後、数回の改正を重ねながらも、現在につながる旧形電車の形式番号の基本となっている。
それ以後、比較的大きな称号規程改正が行われたのは、1953年(昭和28年)4月8日付総裁達第225号(同年6月1日施行)である。このときは、17m級電車の形式整理、改造車への形式付与整理、戦時買収によって国有鉄道に編入された私鉄からの引継ぎ車への国鉄式形式番号の付与等が実施されている。
そして、先述の1959年改正による称号規程が現在まで使用されているものである。
以下、順にそれぞれの形式称号規程について解説を加えることとする。
[編集] 1911年(明治44年)車両称号規程
1911年(明治44年)1月16日付達第20号により制定された車両称号規程により、電車は客車の形式番号体系に含められた。電車の番号は、客車の二等車と三等車の間に設定され、二軸車は950~999、ボギー車は6100~6499が割り当てられている(後に番号の範囲は追加)。形式は、一連で付される同一形式車の最初の番号をとることとされ、車両の重量(換算両数)を表す記号(ボギー車のみ)と用途(等級等)を表す記号が併せて標記される。(詳細は、国鉄客車の車両形式を参照)
なお、等級を表す記号「イ、ロ、ハ」並びに緩急車を表す記号「フ」は、電車には使用しないこととされ、電車を表す記号「デ」が重量記号と組み合わせて使用された。
この称号規程により、甲武鉄道引継ぎの二軸車は、ニデ950形950~952、デ960形960~962、デ963形963~988に、1909年(明治42年)に製造された国有鉄道初のボギー電車1~10は、ホデ6100形6100~6109となった。
[編集] 換算両数算出法の変更による重量記号の変更
1913年(大正2年)4月22日付達第302号により、換算両数の算出方法が変更され、重量記号が「ホ」から「ナ」に変更された。これにより、「ホデ」は「ナデ」となった。
[編集] 付随電車の記号の追加
電動機を持たない付随電車の登場に伴い、1914年(大正3年)4月7日付達第322号により、付随電車を表す記号「トデ」が追加された。なお、ここでいう付随電車とは、現在でいう制御車のことである。
[編集] 電車の記号付与方法の変更
1914年(大正3年)8月29日付達第794号により、記号の設定方法が変更され、従来の重量記号を併記する方式から、電動機を持つ電車を表す記号「デ」、電動機を持たない電車を表す記号「ク」に等級記号を組み合わせる方式に変更され、「ナデ」は「デハ」に、「ナトデ」は「クハ」となった。なお、従来二等車と三等車の中間とされていた電車の等級が三等車と規定されたことに伴い、形式と番号の変更が実施されている。
[編集] 制御車と付随車の分離
1917年(大正6年)9月1日付達第833号により、付随電車の記号が制御器を持つもの「ク」と制御器を持たないもの「サ」に分離された。これにより、「クロハ」と称していた6190~6199が「サロハ」に、「クハ」と称していた6410、6420~6423が「サハ」に変更されている。
[編集] 1928年(昭和3年)車両称号規程
1928年(昭和3年)10月1日に施行された車両称号規程改正は、ほとんどの車種に及ぶ大規模なものであったが、この時、電車の形式番号は、客車から分離され、電車独自のものが定められた。種類を表す記号は、電動車を表す「デ」が「モ」に改められたが、制御車を表す「ク」と付随車を表す「サ」は、そのまま使用された。
等級、用途を表す記号も、客車にあわせて一部が改められたが、ほぼそのままである。
番号は、1001~39999(後年、99999まで拡大)が割り当てられ、番号の万位および千位の数字を形式として用いることとされた。従来、番号は形式ごとに0から付されていたが、この改正により1から付すように改められている。
万位の数字は装備する電動機の出力並びに車体の構造に応じて次のとおりとされた。
- ないもの - 70kW電動機を装備する木製電動車とそれに連結すべき制御車および付随車
- 1~2 - 100kW電動機を装備する木製電動車とそれに連結すべき制御車および付随車
- 3(~9) - 100kW電動機を装備する鋼製電動車とそれに連結すべき制御車および付随車
千位の数字は、0~4が電動車、5~9が制御車または付随車とされた。
また、記号および形式は、右のように記号と番号を横書きに上下2列に標記するよう改められた。
[編集] 制御車代用車、付随車代用車に関する特別措置
1939年(昭和14年)以来、電動車や制御車でありながら、電動機や制御器を装備しないまま営業につく車が出現するようになり、戦後の63形に至っては、未電装車が大量に発生するようになった。また、在来車も戦中戦後の酷使により修繕ができないまま転用せざる得ない車が多数に上ったため、1948年(昭和23年)4月、こうした車を運用上区別する必要から、電動車で電動機のないものを「クモハ」、さらに制御器のないものを「サモハ」、制御車で制御器のないものを「サクハ」とし、「ク」「サ」は記号の左上に小さく表示することとされた。
[編集] 1953年(昭和28年)車両称号規程
1928年に制定された電車の称号規程は、改造や新造により早くも行き詰まりを見せていた。また、私鉄の買収によって形式数はふくれあがり、戦前の買収による3社については国有鉄道の形式番号を与えられたものの、戦時買収私鉄からの引継ぎ車は、私鉄時代の番号のまま使用され、重複番号も生じていた。
1953年(昭和28年)6月1日付けで実施された車両称号規程(昭和28年4月8日総裁達第225号)では、これらの問題の解決を主眼に次の内容で実施された。
- 在籍車のほとんどなくなった標準形木製車は雑形に編入し、買収私鉄引継ぎ車とともに1000~9999に付番し、その最初の番号(一位の端数は使用しない)を形式とした。旧会社別の付番基準は下記のとおりである。
- 車体長17m級の標準形電車は、木造車の雑形編入により空き番となった10000~29999に整理、改番した。形式は、従来と同様番号の万位と千位を使用するが、番号は0から付番することとした。
- 車体長20m級の標準形電車は、30000~99999に付番することとし、一部の形式で整理統合を行なった他は、従来の番号を引き続いて使用することとした。そのため、改番の対象にならなかった形式では、従来どおり1から始まっている。
- 営業用以外の事業用車については、種車が木造車であるか鋼製車であるか、標準形であるか雑形であるかにかかわらず、4000~4999(電動車)、9000~9999(制御車・付随車)とした。
- 事業用車は、従来の記号「ヤ」の他に、「エ」:救援車、「ル」:配給車を制定した。
- 改番対象車が多数にのぼるため、過渡的な措置として新旧の番号を車内外に併記し、改番期日後に旧番号を消去する方法がとられた。車外の旧番号は下線付き、車内の旧番号は括弧書きで標記された。
なお、千位の数字は引き続き0~4が電動車、5~9が制御車または付随車とされている。
旧所有会社 | 電動車 | 制御車・付随車 | ||
旅客専用車 | 郵便荷物車 ・合造車等 |
旅客専用車 | 郵便荷物車 ・合造車等 |
|
広浜鉄道 | (10xx) | - | - | - |
信濃鉄道 | 11xx | 31xx | 51xx | 71xx |
富士身延鉄道 | 12xx | - | - | 72xx |
宇部鉄道 | 13xx | - | 53xx | - |
富山地方鉄道 | - | - | (54xx) | - |
鶴見臨港鉄道 | 15xx | - | 55xx | - |
豊川鉄道 | 16xx | - | 56xx | - |
鳳来寺鉄道 | 17xx | - | - | - |
三信鉄道 | - | - | 58xx | - |
伊那電気鉄道 | 19xx | - | 59xx | 79xx |
南武鉄道 | 20xx | - | 60xx | - |
青梅電気鉄道 | - | - | 61xx | - |
南海鉄道 | 22xx | 32xx | 62xx | - |
宮城電気鉄道 | 23xx | - | 63xx | 73xx |
国鉄(雑形) | 24xx | 34xx | 64xx | - |
職用車 | 4xxx | 9xxx |
※括弧書きは、改番前に廃車となったもので、予定されていた形式番号
[編集] 1959年(昭和34年)車両称号規程
1959年(昭和34年)6月1日に施行された称号規程改正(昭和34年5月30日総裁達第237号)では、新形電車並びに交流用電車および交直流両用電車の付番体系が制定され、便宜的に旧称号規程に則って形式付与されていた新性能電車(101系(90系)、151系(20系)、153系(91系)、155系(82系))などが新体系に分離された。交流用電車、交直流両用電車においては、釣り掛け駆動の旧形電車に属するものも存在したが、こちらは、新形電車用の規程によって付番される。
記号については、電動車は運転台の有無にかかわらずすべて「モ」であったが、80系の登場で中間電動車が登場したため、運転台を有しない中間電動車を「モ」とし、運転台付きの制御電動車を「クモ」とするよう改められた。
また、この称号規程では、従来、電車の付番体系においては記号のみが異なる同番号車は存在しないのが鉄則であったが、従来の「モハ」等の記号と形式番号を合わせて形式とするものとされた。これ以後、記号のみが異なる同番号車が発生している。標記方法も従来は記号と番号を2列書きにしていたが、記号番号を1列に標記するものとされた。
事業用車については、国鉄標準型改造車も雑形扱いされていたが、本改正において標準型の形式番号体系に移されている。