土佐神社
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土佐神社 | |
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所在地 | 高知県高知市一宮2499 |
位置 | 北緯33度35分33秒 東経133度34分37秒 |
主祭神 | 味鋤高彦根神 一言主神 |
社格等 | 式内社(大)・土佐国一宮・国幣中社・別表神社 |
創建 | 雄略天皇の御代 |
例祭 | 8月25日(志奈禰祭) |
主な神事 | 射初祭・斎籠祭 |
土佐神社(とさじんじゃ)は、高知県高知市にある神社である。式内社、土佐国一宮で、旧社格は国幣中社。
目次 |
[編集] 祭神
現在は味鋤高彦根神と一言主神を祀るとしている。高鴨神または土佐大神ともいう。両神とも古来より賀茂氏により祀られていた神であり、賀茂氏の同族が土佐国造に任ぜられたことから当地で祀られることになったものとみられる。
古くは単に「土佐大神」と称していたが、『土佐国風土記』では「祭神は一言主尊であるが、一説には味鋤高彦根尊であるという」と書かれている。社伝によれば、当社の祭神の高鴨神は、元は大和の葛城山に坐したが、雄略天皇の怒りに触れて土佐に流され、はじめは幡多郡の賀茂社に祀られ、後に土佐神社へ移ったという。同様の伝承が続日本紀にあり、ここでは一言主神のこととなっている。しかし、一言主神は古事記では雄略天皇から崇められる存在として記されており、そこから同じ賀茂氏によって祀られていた味鋤高彦根尊とする説が出たものとみられる。
[編集] 歴史
上記の伝承から社伝では雄略天皇の時代の創建としている。実際の創建年代は不詳であるが、境内に「礫石」と呼ばれる自然石があり、古代にはこれを磐座として祭祀が行われていたものとみられている。延喜式神名帳では「土佐国土佐郡 都佐坐神社」と記載されて大社に列している。海賊平定を祈願し霊験を現したとして天慶3年(935年)に最高位となる正一位の神階を受け、土佐国一宮・土佐国総鎮守として崇敬を受けた。
永禄6年(1563年)、兵火により社殿を焼失し、元亀2年(1571年)、長曽我部元親が四国平定を祈願して社殿を再建した。江戸時代の藩主山内氏も当社を保護し、土佐藩の祈願所とした。
それまでは土佐高賀茂大社(高賀茂明神)と称していたが、明治4年(1871年)に土佐神社に改称し、国幣中社に列格した。
[編集] 施設
現存の社殿は元亀2年再建のときのもので、幣殿と拝殿を合して十字型に造る「入蜻蛉」と称される独特の様式となっている。本殿・幣殿・拝殿・鼓楼が国の重要文化財(旧国宝)に指定されている。
[編集] 祭事
8月25日の例祭は「志奈禰祭(しなねさい)」と呼ばれる。「志奈禰」の語は、新嘗祭の「にいなめ」の転じたものという説、新稲(しいね)の転じたものという説、風の神「志那都比古神」に関するという説など諸説ある。
[編集] 外部リンク
- 土佐神社(公式サイト)