多度大社
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多度大社 | |
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本社 |
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所在地 | 三重県桑名市多度町多度1681 |
位置 | 北緯35度08分07.8秒 東経136度37分21.5秒 |
主祭神 | 天津彦根命 |
社格等 | 式内社(名神大)・国幣大社・別表神社 |
創建 | 雄略天皇の御代 |
例祭 | 5月4日・5日 |
主な神事 | 上げ馬神事・流鏑馬祭 |
多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は国幣大社。正式名称は多度神社であるが、一般には「多度大社」と呼ばれている。
目次 |
[編集] 祭神
天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とする。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。
境内には、天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本社とともに「多度両社」と称される。一目連を祖にもつ、小串家が代々宮司を務める。
[編集] 歴史
社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝える。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていた。天平宝字7年(763年)、僧・万願によって神宮寺が創建された。貞観3年(863年)、神階が正二位に累進した。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬された。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。平安後期には伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰された。
中世には国司北畠氏が保護していたが、元亀2年(1571年)、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失した。慶長10年(1605年)、桑名藩主本多忠勝により再建された。
明治6年(1873年)、県社に列格し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。
[編集] 祭事
- 上げ馬神事
- ちょうちん祭
- 7月下旬土日
[編集] 境内
本宮である多度神社の他、次の別宮・摂社・末社を合わせて多度大社と呼ぶ。()内は祭神。
- 別宮:一目連神社(天目一箇命)
- 摂社
- 末社
- 神明社(天照大神)・皇子社(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理姫命、多岐津姫命)・雨宮八幡社(天之水分神、国之水分神、品陀別命)・藤波社(建速須佐之男命、大穴牟遅命、少彦名命)・鉾立社(天久之比命)・招魂社(護国の英霊)
他に松尾芭蕉句碑、宝物殿などがある。
[編集] 文化財
- 重要文化財「神宮寺伽藍縁起並資財帳」
- 同「竹帙」
- 同「銅鏡30面」
- 同「金銅五鈷鈴」
- 三重県指定文化財「短刀 正重作」
- 同「太刀 勢洲桑名住藤原勝吉作」
[編集] アクセス
近畿日本鉄道養老線多度駅下車徒歩15分又は三重交通バス5分。 また近くには(約1km)多度峡がある。