大中恩
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大中 恩(おおなか めぐみ、1924年7月24日 - )は、東京生まれの作曲家。
父は『椰子の実』の作曲者である大中寅二。詩人、作家の阪田寛夫は従弟にあたる。父親が教会のオルガニスト兼合唱指揮者であったことから歌を愛好するようになった(聖歌隊の女の子に惹かれたからだとも語っている)。1942年に東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科入学。学徒動員で海軍に召集された。1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたという。1945年同校卒業。この頃の歌曲集「五つの抒情歌」、就中『しぐれに寄する抒情』(詩: 佐藤春夫)『ふるみち』(詩:三木露風)は畑中良輔が初演し、現在でも愛唱されている。その後1955年に中田喜直ら5人と「ろばの会」を結成。特にこどものための音楽をライフワークとし、現在も精力的な活動を続けている。
混声合唱曲『煉瓦色の街』(1965年)で芸術祭奨励賞を受賞する。以後女声合唱組曲『愛の風船』(1966年)、男声合唱曲『走れわが心』(1968年)、混声合唱曲『島よ』(1970年)で芸術祭優秀賞を受賞する。1982年には時代を超えて歌い継がれている『いぬのおまわりさん』『サッちゃん』『おなかのへるうた』等を集大成した「現代こどものうた秀作選・大中恩選集」で日本童謡大賞を受賞する。
1989年紫綬褒章受賞。歌曲、合唱曲、こどものうた等の曲集・CDの出版多数。
作曲のみならず自作を主に演奏するコールMeg(1957年 - 1987年)を育て、その活動は三夜連続演奏会(1965年・1982年)、九夜連続演奏会(1972年)、日本縦断コンサート(1977年)、数々の地方演奏会、数多くのレコード録音など、アマチュア合唱団としては大変ユニークな活動を行ってきた。現在でもそのOB・OGを中心とした合唱団を指導している。東京音楽学校在学中指導を受けた信時潔の『海道東征』再演の際は、合唱団を率いて参加、公演を助けた。
その作風は日本語の美しい語感を生かしたメロディとリズム、その詩に基づくイメージに即した和声を用い、「童謡だからと安易な曲作りはしない」という厳しい姿勢が貫かれている。合唱作品では清水脩、高田三郎、佐藤眞等と並んで昭和の世代の合唱団のよきレパートリーを提供し続けたといっても過言ではない。また自作の童謡を合唱のためにアレンジした編曲も、日本中の合唱団で演奏されている。
なお、土田藍(つちだ あい)という筆名で、自身の歌の作詞も手がけている。
目次 |
[編集] 主な作品
本文に掲載されているものは省略した。
[編集] 器楽曲
- こどものためのピアノ曲集「あおいオルゴール」
- こどものうた《おなかのへるうた》による変奏曲(ピアノ)
- 三つの小品(ピアノ)
[編集] 歌曲
- 五つの現代詩
- 歌曲集「恋のミステリー」
- 歌曲集「ひとりぼっちがたまらなかったら」
- 歌曲集「夢色の風にのる猫」
- 歌曲集「月曜日の詩集」
- 歌曲集「愛ゆえに」
- 歌曲集「子供部屋」
[編集] 童謡
- トマト
- ドロップスのうた
- シャボン玉
- バスのうた
- バナナをたべるときのうた
[編集] 合唱
- 混声合唱組曲「わたしの動物園」
- 女声合唱組曲「月と良寛」
- 混声合唱組曲「日曜学校のころ」
- 混声合唱組曲「風と花粉」
- 混声合唱組曲「遥かなものを」
- 女声合唱組曲「船に乗る日の近づいて」
- 混声合唱組曲「風のうた」
- 女声合唱組曲「めぐり逢いは不思議ね」
- 女声合唱組曲「風花の舞」
- 男声合唱組曲「ヴェニュス生誕」